山口政事堂からの帰り道、
刺客に襲われて重傷を負った井上聞多は、
最早これまでと実兄井上光遠に介錯を乞う。
そこへ母の房子が止めに入り、
兄に介錯を思い留まらせます。
所郁太郎は美濃の醸造屋の子で、
医師の所伊織の養子でした。… 続きを読む
山口政事堂からの帰り道、
刺客に襲われて重傷を負った井上聞多は、
最早これまでと実兄井上光遠に介錯を乞う。
そこへ母の房子が止めに入り、
兄に介錯を思い留まらせます。
所郁太郎は美濃の醸造屋の子で、
医師の所伊織の養子でした。… 続きを読む
美祢市南端の厚保町は栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。
その厚保にある来島又兵衛関連の史跡。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。… 続きを読む
山口で講習があったので、
世外井上馨候遭難之地に寄ってみました。
大きな石碑ですね。
ここで井上聞多は襲われています。
元治元年9月25日午後6時頃。
山口政事堂から家路についた井上聞多は、
途中の御旗善右衛門邸付近で、
2人の人物に遭遇。
2人は井上に駆け寄り両腕を押さえ、
「井上聞多殿には候はずや」… 続きを読む
TⅤなどの後世のイメージなのですが、
来島又兵衛といえば長州の豪傑って感じ?
豪快でワイルドな容姿を想像します。
肖像もこんなです。
そういうイメージですので、
猪突猛進、猪武者なのかと思いきや、
文武両道のお方だったようです。
確かに体格は大きく大石神影流剣術、
大島流槍術、… 続きを読む
井上馨について・・・
井上馨(幕末時は志道聞多、井上聞多)は、
長州藩閥の重鎮にして汚職大魔王。
汚職まみれとはいえ財務の才能はピカ1で、
新政府のつたない財政を切り盛りし、
日本を西洋列強の一員にのし上げた功績は、
とても大きいでしょう。
この井上馨(以下聞多)と、
高杉晋作とはどんな関係だったのしょう?
井上は大組百石井上家の次男に生まれます。… 続きを読む
山口市に行く用事がありましたので、
今回は亀山公園に行ってみました。
亀山公園は文字どうり、
亀山という山の山頂にある公園です。
ここには「そうせい候」毛利敬親像があります。
馬上で見下ろすその姿は、
家臣に終始寛大な姿勢を貫いた、
親のような威厳が感じさせられます。
僕は「偉大なるそうせい候」と呼んでいますが、
そういう雰囲気がよく表現されてる銅像です。
中腹には有名な… 続きを読む