佐倉で最後に訪れたのは佐倉順天堂記念館。
佐倉順天堂の一部が保存され、
当時の医療器具等が展示されています。
「佐倉順天堂記念館」。
開業当時は道路向かいにありましたが、
安政5年にここに移転しており、
その後に拡充されました。
現在残る建物は診療棟の一部にあたります。
「佐藤泰然先生」胸像。
庭には佐藤泰然… 続きを読む
千葉県佐倉市 佐倉順天堂記念館
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佐倉で最後に訪れたのは佐倉順天堂記念館。
佐倉順天堂の一部が保存され、
当時の医療器具等が展示されています。
「佐倉順天堂記念館」。
開業当時は道路向かいにありましたが、
安政5年にここに移転しており、
その後に拡充されました。
現在残る建物は診療棟の一部にあたります。
「佐藤泰然先生」胸像。
庭には佐藤泰然… 続きを読む
村田良庵は緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、
頭角を現して塾頭を勤めた後、
鋳銭司に帰って医者を開業しています。
高野長英を失った宇和島藩では、
高野に代わる蘭学者を求めていましたが、
そこで白羽の矢が立ったのが、
二宮敬作を訪ねに来ていた村田でした。
一流の蘭学者と認められた村田は、
宇和島藩主伊達宗城… 続きを読む
年末は嫁さんの実家益田市で過ごします。
本来僕は長男ですので、
自分の実家で過ごすのが道理ですが、
嫁さんの実家には男兄弟がおらず、
正月は他の姉妹が帰って来ないので、
寂しい正月を迎えさせるのは忍びないと、
ウチの家族がお邪魔するわけです。
そんなわけで益田市に度々行くわけですが、
益田市は石州戦争の舞台となった場所で、
史跡も滞在中に少しずつ訪問しています。
島根県益田市 扇原関所跡
島根県益田市 万福寺・医光寺
島根県益田市 妙義寺~乃木三蔵之墓… 続きを読む
足守陣屋跡から足守川を渡り、
緒方洪庵の誕生地へ。
緒方洪庵誕生地への入口。
足守城下への玄関口である葵橋を渡り、
程なく見えてくる案内の標柱。
洪庵は足守藩士佐伯瀬左衛門の三男でした。
「緒方洪庵誕生の地」。
先程の標柱に従って道を進み、
国道が見る場所から左に進むと現れます。
ここに足守藩士… 続きを読む
幕末の偉大なる師といえば緒方洪庵。
私塾適塾からは多くの人材が輩出され、
明治維新の原動力となりました。
維新の原動力となった塾といえば、
吉田松陰の松下村塾が挙げられますが、
こちらは革命家を育てた塾であり、
技術者を育てた適塾とは違います。… 続きを読む