青木周弼、青木研蔵兄弟の父青木玄棟は、
大島和田村の村医者でしたが、
知識と技術を侮辱された経験があった為、
息子2人には良い師を見つけて、
学業に励むよう遺言していました。
地下医の息子が御側医になったのには、
そういう経緯があったようです。
周防大島町和田周辺(青木玄棟宅跡の場所)
青木玄棟宅跡はみかん畑になっています。
「青木周弼 … 続きを読む
山口県大島郡 青木周弼 研蔵生誕地
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青木周弼、青木研蔵兄弟の父青木玄棟は、
大島和田村の村医者でしたが、
知識と技術を侮辱された経験があった為、
息子2人には良い師を見つけて、
学業に励むよう遺言していました。
地下医の息子が御側医になったのには、
そういう経緯があったようです。
周防大島町和田周辺(青木玄棟宅跡の場所)
青木玄棟宅跡はみかん畑になっています。
「青木周弼 … 続きを読む
慶応 3 年 4 月 14 日。
高杉晋作は療養空しく短い生涯を閉じました。
長州藩はこの若き英雄をなんとか治そうと、
名医で聞こえた李家文厚や竹田祐伯を送り、
寄組国司家も抱医の熊野祥甫… 続きを読む
新型コロナウイルスの流行が続いてますが、
幕末に流行したのはコロリ(コレラ)です。
コロリ、コロナと一字違いってのも、
なんだか共通点のようにも感じられますが、
感染経路も症状も致死率もまるで違います。
名の如くコロリと死んでしまう事から、
コロリと呼ばれた訳ですが、
※他にも鉄砲、見急などの名称も。
今流行する新型コロナはそこまでではない。
死者も高齢者や… 続きを読む
江戸時代の庶民の埋葬は、
幕府によって定めた寺請制度により、
各寺院に檀家の埋葬が行われていましたが、
明治政府は朱引内での埋葬を禁ずると共に、
「墓地取扱規則」を設定して、
東京府内9ヶ所を公共墓地を指定しました。… 続きを読む
佐賀県神埼市にある仁比山神社の参道沿いに、
幕末の幕府奥医師伊東玄朴の旧宅があります。
玄朴は仁比山神社仕えた農民執行重助の長男で、
漢方医古川左庵に入門して医学を学び、
父の死後に自宅で医院を開業しました。
約4年間村医者として地域に尽くしましたが、
西洋医学に興味を持って、
蓮池の蘭医… 続きを読む