小倉藩」タグアーカイブ

東京都台東区 海禅寺/梅田雲浜墓所

海禅寺は浅草にある臨済宗妙心寺派の寺院。
寛永元年(1624)に妻恋に創建され、
振袖火事(1657)の後に現在に移転しました。
最盛期には塔頭40寺を抱え、
非常に大きな寺院であったようで、
徳島藩蜂須賀家の江戸墓所として庇護篤く、
阿波様寺と通称されていたという。
その他にも土浦藩土屋家
小倉藩小笠原家及び… 続きを読む

福岡県築上郡 椎田宿跡

椎田宿中津街道の宿場町でしたが、
並びに築城郡の中心地でもあり、
小倉藩が築城郡を支配する郡屋を置き、
商業も盛んで賑わいを魅せていたという。


築上郡築上町椎田周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが椎田宿跡。


椎田宿跡」。
ある程度の古い家屋が残っており、
往時の雰囲気を残しているようです。
文化7年(1810)には伊能忠敬も椎田を訪れ、… 続きを読む

福岡県豊津市 八屋宿跡

八屋宿は宿場ながら寂れた場所だったようで、
江戸中期の名古屋商人菱屋平七の旅日記では、
町屋に商家もあれど屋並のさま、
 きたなげにて、宿屋・茶屋もなく、
 ただうどん屋一軒あるのみ
」と記され、
享和2年(1802)の八屋の寂れた様子が伺えます。
江戸後期となって宇島湊が築港され、
また求菩提山への修験者も集まるようになり、
急激に賑わいを魅せたようです。… 続きを読む

福岡県北九州市 日明処刑場跡

小倉藩で裁かれて極刑となった受刑者は、
城下の八百屋町牢屋より出獄し、
板櫃川に架かる地獄橋を渡り、
※現在の極楽橋
干上村を過ぎて地蔵ヶ鼻に連行されます。
そこには藩の仕置場があったようで、
四方には矢來が結ばれて、
検死役続きを読む

福岡県北九州市 大里宿跡

大里宿細川家小倉藩初代藩主細川忠興が、
本州の渡航に最適であると設置した宿場。
当時は本州への渡航は小倉で行われた為、
城下に大名行列が集中していましたが、
これを嫌う藩により大里宿が開かれてると、
大名達は大里宿で渡航するようになり、
江戸時代中期以降は約8割の大名が、
大里宿から渡航するようになります。


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