椎田宿は中津街道の宿場町でしたが、
並びに築城郡の中心地でもあり、
小倉藩が築城郡を支配する郡屋を置き、
商業も盛んで賑わいを魅せていたという。
築上郡築上町椎田周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが椎田宿跡。
「椎田宿跡」。
ある程度の古い家屋が残っており、
往時の雰囲気を残しているようです。
文化7年(1810)には伊能忠敬も椎田を訪れ、
測量隊一行と共に椎田宿に宿泊したという。
「築上町立歴史民俗資料館」。
椎田に設置された椎田郡屋があった場所で、
御茶屋や筋奉行役宅も併設されていました。
現在は町立の歴史民俗資料館が建っています。
「筋奉行 延塚卯右衛門〇之像」。
※〇の字が読めませんでした。
資料館前にある筋奉行延塚卯右衛門の胸像。
相次ぐ虫害や風雨被害で飢饉が発生した為、
藩から勘合米貸付け支援が成されましたが、
その後も凶作が続いた為に民は困窮。
筋奉行であった延塚はこれを鑑みて、
年貢減免を願い出ますが藩は拒否します。
仕方なく延塚は独断で農民の返済金を免除し、
農民らの救済に尽くしていますが、
延塚はこの独断の責任を取って切腹しました。
この命をとした遺徳を農民らは称え、
三歳の童児に至るまで感謝したという。
椎田宿の街道筋は国道10号線を横切って続き、
真如寺川まで続きます。
「椎田橋」。
真如寺川に架かる橋。
この橋を渡ると湊村に至ります。
湊村は椎田村に隣接していた村で、
ほぼ一つの村として機能していたようで、
椎田村には宿場や郡屋、御茶屋等が置かれ、
湊村には藩の御蔵所が置かれて、
廻船問屋、酒、醤油造屋等があったという。
「湊郡屋跡」。
椎田橋を渡った場所にある町立椎田小学校は、
湊郡屋のあった場所に建てられています。
幕末期に郡屋は湊村に移転しており、
この場所に湊郡屋が造営されました。
椎田宿は中津街道の中間地点に位置し、
人馬継立等を行う宿駅として、
また築城郡の郡屋が置かれた陣屋町として、
物流、経済の拠点として隆盛し、
現在も各地に当時の面影が残されています。
■中津街道の宿場町
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