島津宗家10代島津立久の墓祠が、
日置市東市来の龍雲寺跡にあります。
「龍雲寺跡」。
立久は市来城を落城させた後、
この龍雲寺を創建して自らの菩提寺とし、
寺領を与えてこれを庇護。
曹洞宗薩摩三ヶ寺のひとつに称され、
江戸期を通じて隆盛しました。… 続きを読む
鹿児島県日置市 龍雲寺跡/島津立久墓跡
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島津宗家10代島津立久の墓祠が、
日置市東市来の龍雲寺跡にあります。
「龍雲寺跡」。
立久は市来城を落城させた後、
この龍雲寺を創建して自らの菩提寺とし、
寺領を与えてこれを庇護。
曹洞宗薩摩三ヶ寺のひとつに称され、
江戸期を通じて隆盛しました。… 続きを読む
日置島津家2代当主島津忠隣の墓は、
日置の桂山寺跡にあります。
桂山寺は元々霊徳寺という寺でしたが、
3代当主島津常久が父の菩提寺とし、
父の法名から桂山寺に改称。
現在は廃仏毀釈で廃寺となっており、
忠隣の墓が残されています。
「桂山寺跡… 続きを読む
日置島津家2代当主島津常久の墓が、
光禅寺跡にあるらしいとの事で、
降り続く雨の中を訪問しました。
「光禅寺跡」。
日置島津家初代島津歳久の正室悦窓院は、
慶長7年(1602)に瑞岳和尚を開山とし、
光禅寺を創建しました。
現在は御多分に漏れず… 続きを読む
島津久敬は今和泉島津家出身で、
徳川家定御台所の天璋院(篤姫)は同母妹。
永吉島津家12代島津久陽の養子となりますが、
程なく養母と密通していた事が発覚した為、
廃嫡されて終身幽閉の処分を受けました。
久敬は慶応4年に死去した事にされ、
永吉の隠居屋敷で密かに暮らしたとのこと。
その久敬の墓が… 続きを読む