上田城といえば真田昌幸の城として、
2度も徳川勢を防いだ事で知られます。
昨今は大河ドラマ[真田丸]の影響からか、
知名度は相当高いでしょう。
とはいえ江戸時代は真田家の城ではなく、
松平伊賀守家が藩主となっています。
僕は大河[真田丸]のオープニングでは、
真田家の城と思われる城が出てきますが、
それは上田城や沼田城などではなく、
調べてみるとあれは備中松山城… 続きを読む
上田城といえば真田昌幸の城として、
2度も徳川勢を防いだ事で知られます。
昨今は大河ドラマ[真田丸]の影響からか、
知名度は相当高いでしょう。
とはいえ江戸時代は真田家の城ではなく、
松平伊賀守家が藩主となっています。
僕は大河[真田丸]のオープニングでは、
真田家の城と思われる城が出てきますが、
それは上田城や沼田城などではなく、
調べてみるとあれは備中松山城… 続きを読む
県中部の諏訪盆地に位置する諏訪湖では、
かつては冬に全面凍結していたようで、
その凍結した湖面に亀裂が走って、
それがせりあがる現象が発生していました。
これを[御神渡り]と呼び、
その亀裂を記録した御渡帳と照らして、
その年の天候や農作物の出来… 続きを読む
田安門を出て靖国神社へ。
靖国神社はかつて戦場へ赴いた兵士達や、
戦死者の遺族の心のよりどころであり、
また左翼の攻撃対象でもあるこの神社には、
246万6532柱の祭神を祀っています。
国事に殉じた人々を慰霊する趣旨の神社で、
それ自体はとても素晴らしい事なのですが、
その定義が非常に難しく、
選に漏れた故人の関係者からの不満や、
選ばれた故人に対する評価により、
非難が出てくるのは致し方ない事でしょう。
批判を承知であえて例えるならば、
スポーツ等の代表の人選を非難するのと、… 続きを読む
滝部八幡宮は滝部の氏神として敬われ、
阿川毛利家の庇護を受けていました。
ここに吉田松陰が書いた碑文による、
烈婦登波の碑が建っています。
大鳥居の横の大きな石碑。
「中山太一顕彰碑」。
中山太一は滝部出身の実業家で、
化粧品製造の中山太陽堂創業者。
㈱クラブコスメチックスの前身です。
故郷の滝部に多額の寄付を行った人物。
八幡宮の隣にはノスタルジックな建物が。… 続きを読む
戊辰戦争の岩国領戦死者22名を祀る為、
領主吉川経幹が関所山招魂場を建立。
これが岩国護国神社となっています。
後に脱退騒動鎮圧の戦死者5名も合祀。
招魂場の運営は岩国藩が行っていましたが、
廃藩置県によって吉川家の庇護から離れ、… 続きを読む
その手は桑名の焼蛤は有名な地口ですが、
焼き蛤の名産として有名なのは、
桑名宿–四日市宿間の富田立場という場所で、
茶屋等で焼かれる香ばしい焼き蛤の香りが、
お伊勢参りの客を魅了していたそうです。
この富田立場は桑名藩領であった為、
桑名の焼蛤として認知されていました。
昨今の本多忠勝… 続きを読む
下松護国神社は都濃郡戦死者を招魂する為、
山添招魂場として都濃宰判によって創建。
政府によって築かれた招魂場として他に、
八田山招魂場、惣田山招魂場、
鳶ヶ巣招魂場、江良招魂場があります。
これらはそれぞれの地区の宰判(代官所)が、
出身者を祀るために建設を届けたもので、
藩自体の方針… 続きを読む