500石の旗本平岡道弘は、
将軍御側御用取次役に任じられると、
以後も出世を重ねて若年寄に昇進し、
元治元年10月には知行は1万石に達し、
諸候に列する事となります。
この為に所領船形村に陣屋の建設を開始。
これを藩庁とする事としますが、
幕府が崩壊して新政府が発足し、
徳川宗家が… 続きを読む
「藩庁」タグアーカイブ
青森県三戸郡 五戸代官所跡
再興を許された会津松平家は、
元盛岡藩領の五戸代官所を仮藩庁とし、
多くの元会津藩士がやって来たようです。
「五戸代官所」。
歴史みらいパークに再建された代官所建屋。
文久年間の図面で再建されたものですが、
表門は現存のもので五戸町指定文化財。
木村家が代々代官を務めていました。
戊辰戦争… 続きを読む
青森県三戸郡 五戸宿跡
五戸宿は奥州街道の101番目の宿場町で、
古くから周辺の中心地であったとされます。
盛岡藩の代官所が置かれ、
五戸通の三戸郡13村、上北郡15村の、
計1万4000石を統括していたという。
※盛岡藩では行政区域を[通]と呼び、
それぞれの通に代官所が置かれた。
五戸町市街周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「五戸宿跡… 続きを読む
石川県金沢市 金沢城鼠多門
金沢城に新しい門と橋が復元されたようなので、
金沢訪問の最後に行ってみました。
今回復元された鼠多門は、
金沢城西側にある玉泉院丸に位置し、
鼠多門橋で繋がれた金谷出丸への出入口。
※金谷丸は現在の尾山神社境内。
鼠多門は櫓門形式の城門で、
正確な創建年代は不明ですが、
江戸時代前期には既に存在していたようです。
宝暦9年の大火でも焼失を免れ、… 続きを読む
愛知県碧南市 西端陣屋跡
膳所藩本多家の支流西端本多家は、
膳所藩初代本多康俊の次男本多忠相の系譜。
大坂夏の陣の軍功で1000石を与えられ、
その後も加増を重ね8000石となり、
次代の本多忠将も千石を加増。
その後は9000石で幕末まで続き、
10代領主であった本多忠寛が、
天狗党… 続きを読む
愛知県新城市 半原陣屋跡
半原藩は岡部藩安部家が新政府に願い出て、
岡部から三河国半原に藩庁を移したもの。
元々岡部藩は関東の所領よりも、
摂津や三河の所領が主でしたが、
旗本時代に置いた陣屋が岡部であり、
大名となってからは… 続きを読む
愛知県豊橋市 吉田城
吉田城は戦国時代初期に牧野古白が、
今橋城を築いたことに始まり、
松平家、戸田家、牧野家、今川家等が、
激しい攻防が繰り返した城でした。
やがて城名は吉田城に改められ、
東三河における最重要戦略拠点となり、… 続きを読む