藩庁」タグアーカイブ

千葉県館山市 館山陣屋跡

安房国戦国大名であった里見家は、
北条家と関東の覇権を巡って争い、
後の豊臣政権下では9万2千石、
徳川幕府の成立後は12万2千石となり、
安房一国を統治していました。
館山城はその居城でしたが、
2代藩主里見忠義大久保忠隣続きを読む

千葉県館山市 鶴ケ谷陣屋跡

徳川幕府が崩壊して新政府が樹立し、
徳川宗家駿府藩70万石に決定すると、
これに伴い駿河にあった田中藩本多家は、
新政府より安房への移封が命じられます。
藩庁は房総半島最南の地が選ばれ、
長尾陣屋の建設が進められましたが、
明治2年の台風で建設中の陣屋が倒壊。
これにより長尾陣屋の建設が断念され、
三上藩飛地陣屋であった北条陣屋続きを読む

千葉県館山市 船形陣屋跡

旗本500石の平岡道弘は、
将軍御側御用取次役に任じられると、
以後も出世を重ねて若年寄に昇進し、
元治元年10月には知行は1万石に達し、
諸候に列する事となります。
この為に所領船形村に陣屋の建設を開始。
これを藩庁とする事としますが、
幕府が崩壊して新政府が発足し、
徳川宗家が… 続きを読む

青森県三戸郡 五戸代官所跡

再興を許された会津松平家は、
盛岡藩領の五戸代官所を仮藩庁とし、
多くの元会津藩士がやって来たようです。


五戸代官所」。
歴史みらいパークに再建された代官所建屋。
文久年間の図面で再建されたものですが、
表門は現存のもので五戸町指定文化財。
木村家が代々代官を務めていました。

戊辰戦争続きを読む

青森県三戸郡 五戸宿跡

五戸宿奥州街道の101番目の宿場町で、
古くから周辺の中心地であったとされます。
盛岡藩代官所が置かれ、
五戸通の三戸郡13村、上北郡15村の、
計1万4千石を統括していたという。
※盛岡藩では行政区域を「」と呼び、
 それぞれの通に代官所が置かれた。



五戸町市街周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。


五戸宿跡続きを読む