三田尻が幕府によって攻め落とされた場合、
萩往還を上って山口は目と鼻の先となります。
もちろん三田尻は軍港ですので、
何が何でも死守せねばならない拠点ですが、
それだけに狙われる可能性がありました。
そこで防府と山口の境に砲台を設置し、
防御の勝坂砲台が建設されます。
防府市下右田周辺(勝坂砲台跡の場所)
三田尻から山口に侵攻する為には、
右田ヶ岳… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
山口県萩市 三蔭山神社
三蔭山神社は萩市須佐にある招魂社で、
三蔭山招魂場として建立されました。
三蔭山神社への階段。
他の招魂場と同じく小高い場所にあります。
三蔭山は元々浄土院山と呼ばれており、
招魂場の建立の際に名称を変更されました。
神社を建てる場所が仏教的な浄土院山では、
よろしくないということでしょうか?
「境内」。
ネットで調べたような場所じゃない??
長屋門… 続きを読む
山口県萩市 萩市護国神社
道の駅 萩しーまーと近くの萩市護国神社は、
干城隊、第一大隊及び第四大隊の戦死者を、
招魂した長添山招魂場が前身です。
阿武川より分かれた新川東側の小高い山に、
明治元年に藩によって建立されたもので、
後に… 続きを読む
山口県萩市 常念寺/飯田正伯墓所
飯田正伯は松下村塾の中でも2番目に年長で、
もちろん吉田松陰よりも年上でした。
藩医の家出身の正伯は初め医学を学びますが、
次第に兵学に興味を持ち、
松下村塾に通って山鹿流軍学を学びます。
松陰に師事した期間は約1ヶ月余りと短く、
堅い絆とは言えませんが、
松陰が伝馬町に入獄した際に江戸にいた為、
晋作や尾寺新之丞… 続きを読む
山口県萩市 弘法寺/前原一誠墓所
萩の乱の首謀者として斬首された前原一誠。
彼の墓所は萩の弘法寺にあります。
「弘法寺本堂」。
弘法大師空海が唐から帰国した際、
船が漂着した場所に弁財天が老人に姿を変え、
弘法大師を呼び寄せたとされます。
その後に弘法大師は自分の像を彫刻し、
ここを衆生結縁の場としたことが寺の由緒。… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 梅ノ坊砲台
平家一門と共に壇ノ浦に沈んだ安徳天皇。
この幼帝を祀るのが赤間神宮です。
赤間神宮は幕末まで阿弥陀寺という寺でしたが、
明治になって[天皇社]として神社となり、
明治8年に[赤間宮]、
15年に[赤間神宮]と変貌しました。
「赤間神宮… 続きを読む
山口県山口市 福田侠平遺髪墓
奇兵隊の軍監であった福田侠平は、
高杉晋作が最も信頼していた人物とされ、
自身も晋作に心酔していたようで、
晋作の隣に葬って欲しいと遺言しています。
奇兵隊の中でも比較的年長者であった為か、
周囲に比べて冷静な人物だったようで、
血気盛んな隊士達からも慕われていました。
下関戦争、長州内訌戦、幕長戦争と歴戦し、
北越戦争では劣勢にも悠々とした態度で臨み、
これを見た部下は安心して戦えたようです。… 続きを読む