明木宿は赤間関街道中道筋と、
萩往還の宿場町で、
双方の街道が分岐する交通の要所。
参勤道である萩往還最初の宿場であり、
藩主の休憩所の御客屋が置かれ、
後にこれが御茶屋に昇格しています。
「御国廻御行程記 明木」。
明木上市/下市周辺。緑の線が萩往還で、… 続きを読む
山口県萩市 明木宿跡
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明木宿は赤間関街道中道筋と、
萩往還の宿場町で、
双方の街道が分岐する交通の要所。
参勤道である萩往還最初の宿場であり、
藩主の休憩所の御客屋が置かれ、
後にこれが御茶屋に昇格しています。
「御国廻御行程記 明木」。
明木上市/下市周辺。緑の線が萩往還で、… 続きを読む
萩市街より国道191号線を北へ向かい、
約10km程進んだ大井浦という場所に、
吉見正頼親子の墓があります。
吉見家は津和野の国人領主で、
後の大野毛利家に連なる系譜。
正頼は毛利元就に従って家臣となり、
阿武郡… 続きを読む
楢崎弥八郎は甲子殉難十一烈士のひとり。
東光寺に彼らの墓がありますが、
遺体は善福寺に埋葬されたようです。
「楢崎家先祖合葬墓」。
大組楢崎家の合葬墓。
弥八郎の楢崎家は大組士でしたが、
同じく大組士の楢崎頼三とは別家。
※白虎隊士飯沼定吉… 続きを読む
善福寺にある内山太郎右衛門の墓。
「内山暦代正統中墓(右)」、
「内山暦代正統中室墓(左)」。
内山家歴代当主の墓とその室の墓。
内山家は無給通士の家柄で、
太郎右衛門は小野家からの養子という。
この小野家はよくわかりませんが、
それ程高い家柄ではないでしょう。
高杉晋作… 続きを読む
善福寺は藍場川沿いにある臨済宗寺院。
山号の指月山からもわかるように、
始め指月山に創建された寺院でした。
毛利輝元が指月山に居城を築くまで、
指月山には吉見家の居館があり、
指月城の築城に伴い居館は移され、
善福寺も現在地に移転されています。
「善福寺… 続きを読む
徳隣寺は萩市江向にある臨済宗の寺院。
広島の高田郡福原村の楞厳寺が前身で、
安芸福原家11代福原貞俊が、
父福原広俊の菩提所として創建しました。
以後12代福原元俊までの墓所でしたが、
主君毛利輝元の移封に伴い… 続きを読む
麟祥院にある遠藤謹助の墓。
遠藤謹助は長州ファイブのひとりです。
「松雲院殿傭庸山志信大居士」。
造幣の父遠藤謹助の墓。
長州藩大組遠藤彦右衛門の次男で、
幼少期については不明ですが、
文久3年に井上聞多、山尾庸三… 続きを読む