安岡駅を降りて左に進むと、
柵のされた空き地がありました。
そこに玩古堂紫洲翁萃藏碑があった筈。
僕の高校の通学路で、
そこに碑があるのは知っていたのですが、
その頃は興味が無かったので、
通学していたは3年間スルーしていました。
最近調べるとこの玩古堂紫洲という人は、
多田京平という長府報国隊士として、
小倉戦争に参加した人物という。
ということで、… 続きを読む
安岡駅を降りて左に進むと、
柵のされた空き地がありました。
そこに玩古堂紫洲翁萃藏碑があった筈。
僕の高校の通学路で、
そこに碑があるのは知っていたのですが、
その頃は興味が無かったので、
通学していたは3年間スルーしていました。
最近調べるとこの玩古堂紫洲という人は、
多田京平という長府報国隊士として、
小倉戦争に参加した人物という。
ということで、… 続きを読む
長府報国隊の初代軍監福原和勝は、
攘夷戦、小倉戦争、北越戦争、佐賀の乱、
西南戦争等に従軍した歴戦の軍人。
陸軍教導団司令長官心得、
初代清国公使館付武官なども歴任し、
西南戦争で別働第三旅団参謀長… 続きを読む
豊功神社は歴代長府藩主を祀る神社。
古くから龍神の祠と櫛崎八幡宮がありましたが、
初代藩主毛利秀元が城を構えるにあたり、
毛利の守護神宮崎八幡宮を安芸国より勧請し、
宮崎八幡宮と称して神社を創建して、
後に松崎八幡宮と改称しました。
また忌宮神社の境内社に… 続きを読む
忌宮神社は長府にある長門国二宮。
由緒としては一宮レベルなのですが、
長門国には住吉神社がありますので、
一宮の座を譲ってはいますが、
長門では住吉神社と同格とみなされました。
境内は仲哀天皇の行宮豊浦宮の跡地であり、
足利尊氏の戦勝祈願でも知られます。
「… 続きを読む
長府侍町にある「旧野々村家表門」。
一見して普通の武家屋敷の門なのですが、
この手の門なら長府の至る所にあります。
わざわざ保存する価値があるのかというと、
実はその出所が重要。
この表門があった野々村家は、130石馬廻格。
幕末の当主は野々村勘九郎(泉十郎)です。
少々謎の多い人物ですが、
長府藩きっての剣豪とされ(流派不明)、
同志らと長府報国隊を設立し、
五卿の長府滞在時の接待も努めています。
残念な事に藩内政争に巻き込まれ、
自刃を遂げた悲劇の志士でした。
でもこの門は、その野々村邸の門だから、… 続きを読む
高杉晋作陶像のある日和山公園には、
つかずの灯篭という石灯篭があります。
「つかずの灯篭」。
壇之浦に灯台として設置されていたもので、
長府報国隊が桜山神魂場に倣い、
貴船町の旭山に招魂場を造ることになり、
そこに灯篭を設置する事となったので、
この灯篭を運ぶ事になりました。
隊士達は酒を飲みながら運んでいたので、
灯篭を乗せた大八車を、… 続きを読む