下関市綾羅木 中山神社


綾羅木にある中山神社です。
この中山神社の祭神は中山忠光
光明寺党天誅組の主将を勤めますが、
長府藩の保守派によって暗殺されました。


広い境内には松の木が沢山あり、
かつて松林があったと推測できます。

本殿の右側より中山忠光の墓所へ。

藤原忠光卿神霊」。
忠光は権大納言中山忠能の七男で、
明治天皇の叔父にあたります。
朝廷に侍従として出仕していましたが、
文久3年に出奔して長州に入り、
光明寺党の首領となりました。
その後に天誅組の主将に推され、
大和で挙兵して代官所を襲いますが、
幕府に鎮圧されて天誅組は崩壊。
忠光は逃れて再度長州に入り、
長府藩に庇護されて潜伏しています。
北浦周辺で転住を繰り返しましたが、
長府藩の政情が変わった為、
刺客を差し向けられて暗殺されました。
遺骸は殺害現場より運ばれましたが、
夜が明けて人目に付く事を恐れた刺客は、
この地に遺骸を埋めて去りました。
墓碑は慶応元年に建立されたもの。

本殿の左側には愛親覚羅社があります。
中山忠光のひ孫の嵯峨浩が、
ラストエンペラー愛親覚羅溥儀の弟、
愛親覚羅溥傑に嫁いだ縁で、
この中山神社境内に祀られています。

※※中山神社にも毎年行ってます。
勤め先の最寄の神社で、
毎年の仕事始めに全社員で参っています。
2019/08/05

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