山口県萩市 吉田松陰墓所

萩市大字椿東の
吉田松陰の墓ならびに墓所」に
行ってきました。
吉田松陰金子重輔の銅像が、
萩城下を見下ろしています。


松陰の墓以外にも杉家の家族や親戚の墓や、
門下生の墓もあります。


松陰の父杉百合之助と妻の合葬墓。
夫婦仲良く一緒の墓に眠っています。


久坂玄瑞の墓。
周りの墓が仏式の墓石なのに比べ、
神道式の墓石(上部の尖った墓石)です。


玉木文之進の墓。
玉木文之進は萩の乱に教え子達が、
多数参加したことの責任を取り、
先祖の墓の前で切腹したのですが、
先祖の墓というのはここなんでしょうか?
ちなみに介錯は松陰の妹で、
文や寿の姉(千代)。


松陰の弟で耳が不自由だった杉敏三郎の墓。
明治9年に32歳で病死しています。


松陰の兄杉民治の墓。
長生きして長州の為に尽くしています。
明治13年頃に松下村塾を再興しました。


高杉晋作の墓。
東行庵の墓は神道式ですがこちらは仏式。
ここには遺髪が収められているそうですが、
晋作の遺髪って短いですよね・・・。
イメージの遺髪って束ねられてますが、
そういうんじゃないんでしょうね。
短い毛を半紙に包んでる感じかな??


吉田稔麿の墓。
こちらも久坂と同様に神道式の墓石ですね。
久坂、高杉と松陰門下の三秀揃いました。
入江九一の墓が無いのがかわいそうです。


そして、吉田松陰の墓です。
ここだけ人が絶えない。
写真撮りたかったのに、
どうしても人か入り込んじゃいます。
松陰二十一回猛士墓」と記され、
遺髪が埋葬されているそうです。
墓前の水盤や花立は、門人17人と、
妹たちの名前が記されています。


この地は高杉晋作が10年の暇をもらい、
東行を名乗り山に籠った草庵のあった場所。
ここから高杉家まではかなりの距離です。
はこんなところまで通ったんですね。


約50m位下ったところに、
松陰の誕生地があります。
間取りを示す敷石が残っており、
かなり狭かった印象です。


松陰の産湯を汲んだ井戸
産湯の井戸ということで、
みよちゃんと撮しました。

この萩の吉田松陰墓所は、
元々杉家の墓所であった訳ではなく、
門弟達が松陰の遺髪を埋葬した事から、
杉家や縁のある人達の墓所となったという。
そうすると別に吉田家や杉家代々の墓が、
どこかにあったのかな?



一通り見終わって山を下ると、
吉田稔麿の誕生地を見つけました。
ご覧のとおり「稔丸」となっています。
稔丸、年丸と書かれる文献もあるようで、
一概に間違いとも言えないかも?
しかし「吉田年丸」になると、
弱々しいイメージになりますね。

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山口県萩市 吉田松陰墓所(再訪)①//
 再訪した際の記事。もっと詳しく。
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 橋本佐内ら志士の墓があります。
山口市 海善寺/玉木彦助墓所
 松陰の従弟玉木彦助の墓所。
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 とんでもない日に訪問してしまいました。
東京都世田谷区 世田谷松陰神社(再訪)
 後に再訪問致しました。

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