つづき。
①/②/③
石川門を潜り抜けて三ノ丸跡へ。
「五十間長屋」。
広々い三ノ丸跡に巨大な雄姿を見せます。
あまり近づくと全体の写真が撮れません。
平成13年に完成した復元建築物で、
両脇に菱櫓と橋爪門続櫓が付属します。
これを復元したのはセンスが良い。
「橋爪門」。
二ノ丸への正門で、
平成27年に復元された門。
こちらも高麗門と櫓門の枡形虎口で、
藩主の居住する二ノ丸御殿へ通じる為、
最も格式が高い門だったという。
「二ノ丸跡」。
藩主住居であった二ノ丸御殿が建てられ、
加賀藩の政務がここで行われていました。
維新後は家老暗殺事件も起きています。
※記事はこちら。
御殿の復元計画もあるとのことですが、
是非とも復元して頂きたいですね。
「極楽橋」。
二ノ丸と本丸附段を分ける空堀に掛かる橋。
金沢城は一向一揆の拠点尾山御坊跡で、
佐久間盛政が城として用いたのがはじまり。
橋の名は尾山御坊からと伝わりますが、
確証は無いようです。
「三十間長屋」。
極楽橋を渡ると現れる巨大な二階建の長屋。
江戸中期に火災で焼失していましたが、
幕末の安政5年に再建されました。
百年近くの月日を経て再建されていますが、
藩主の住居は二ノ丸御殿ですので、
その後詰ということになります。
情勢を鑑みて有事が想定されたのでしょう。
現存遺構で重文となっています。
「本丸跡」。
本丸はなんと森になっています。
金沢城は寛永8年に大火で焼失しますが、
それ以前は天守と本丸御殿がありました。
復興後は二ノ丸に御殿が建てられ、
本丸は放棄されて自然に返り、
木々が鬱蒼と生い茂る森となっています。
「戌亥櫓跡」。
本丸の森に入って左に進んだ先が戌亥櫓跡。
櫓台が残されているだけですが、
二ノ丸や五十間長屋が一望できます。
空堀のようですが、
藩政時代からのものか、
陸軍時代のものかわかりません。
最低でもトンネルは明治以降です。
「本丸の森」。
手付かずの自然の森が、
城の中心に残されているのも不思議。
「辰巳櫓跡」。
櫓跡とはいっても石垣も残っていません。
もうひとつ丑寅櫓跡もあったのですが、
これも同じような感じです。
兼六園の眺めは良いかもしれません。
天守は本丸の中央あたりだったようですが、
石垣は取り除かれて現在は森の中。
金沢城は精力的に再建されていますが、
本丸はそのままにして頂きたいですね。
生き物もたくさんいるらしいですし。
つづく。
①/②/③
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