佐賀県鹿島市 泰智寺/鹿島藩鍋島家墓所②

つづき。
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畏徳院殿前丹州太守
 仁勇英忠大居士
(右)」、
篤誠院殿賀丞玄極大姉(左)」。
9代藩主鍋島直彜とその正室の墓。
佐賀藩8代鍋島治茂(直熙)の六男に生まれ、
8代直宜の養嫡子となって、
養父直宜の隠居により家督を相続。
財政難に対して倹約やリストラ等、
藩政改革を行ないますが効果は得られず、
20年の治世の後に隠居しました。


昭徳院殿前丹州太守
 良永澤水大居士
(右)」、
朝春院殿寶室廉貞大姉(左)」。
10代藩主鍋島直永とその正室の墓。
佐賀藩9代鍋島斉直の十三男に生まれ、
9代直彜の養嫡子となって、
養父の隠居に伴い家督を継ぎます。
19年の治世の後に隠居し、
その16年後に死去しました。


俊英院殿前鹿城太守
 文山光輝大居士
(右)」。
11代藩主鍋島直晴とその正室の墓。
※奥方の碑銘は読めませんでした。
9代直彜の長男として生まれますが、
家督は既に従兄の直永が相続していた為、
その養嫡子となっています。
直永の隠居に伴い家督を相続しますが、
その直後の参勤交代中に急死しました。


賢徳院殿前鹿城太守崇巌雄威大居士」。
12代藩主鍋島直賢の墓。
佐賀藩9代斉直の二十八男で、
11代直晴の急死に伴い急遽家督を相続。
財政難に対応出来ず宗家が介入し、
僅か8年で強制的に隠居させられました。
その後は花岡山の隠居屋敷で過ごし、
安政6年に死去しています。


静観院殿正二位
 萬物自得大居士
(右)」、
諸昭院殿壽徳窃明大姉(左)」。
13代藩主鍋島直彬とその正室の墓。
10代直永の三男として生まれ、
12代直賢が強制的に隠居させられた為、
その養子として数え家督を相続。
露国のプチャーチンの長崎来航では、
長崎の警備を担当していました。
藩校徳譲館弘文館と改称して充実させ、
藩士子弟に文武を奨励。
幕末の動乱期には宗家の名代となっており、
朝廷との交渉役を務めました。
明治維新後は米国留学を経て、
初代沖縄県知事となっています。


覺性院殿従三位全機直縄大居士」。
14代当主鍋島直縄の墓。
佐賀藩最後の藩主鍋島直大の子で、
13代直彬の養子となって家督を相続。
佐賀百六銀行頭取を務めた他、
貴族院議員内務政務次官を務めています。

泰智寺は以後も継続して墓所となっており、
その後の当主や一族の墓もありました。

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