青山霊園にある野津家の墓所。
陸軍中将の兄野津鎮雄、
元帥陸軍大将の弟野津道貫の兄弟は、
日本陸軍の黎明期に活躍した軍人で、
幕末期には誠忠組にも加盟していました。
「野津家之墓」。
野津兄弟は累代墓に埋葬されています。
兄鎮雄は薩摩藩士野津七郎鎮圭の次男、
弟道貫は三男として生まれ、
幼くして両親を亡くしました。
二人は薩英戦争、戊辰戦争で活躍し、
維新後は御親兵を経て陸軍に出仕。
佐賀の乱や西南戦争で戦果を挙げ、
鎮雄は中将、道貫は少将に昇進しますが、
鎮雄は明治13年に病死。
道貫はその後も陸軍で各司令官を務め、
明治28年に陸軍大将になっています。
日清戦争では第5師団長として従軍し、
後に第1軍司令官に任命されて、
奇襲を使って戦役最大の戦功を挙げ、
明治天皇の賞賛も受けました。
日露戦争では第4軍司令官として参戦。
奉天会戦で主力となる活躍しており、
戦後に元帥の称号を得ています。
明治41年に菊花大綬章を受けますが、
同年に死去しました。
「故陸軍中将贈正三位勲
二等野津野津鎮雄君碑」。
野津家の墓域から離れなければ、
全体が撮影出来ない程の巨大な碑。
この碑は明治15年に建てられたもので、
有栖川宮熾仁親王の篆額で、
日下部東作の書によるもの。
墓所は青山霊園1種イ1号26側。
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