福岡県福岡市 若松屋(常盤館)跡

元治元年11月。
野村望東尼に匿われていた高杉晋作は、
三家老の切腹等の知らせを聞いて憤慨。
長州藩に戻る事を決意しました。
帰還には対馬府中藩の協力が必要で、
博多にあった同藩の蔵屋敷に行く為には、
警戒の厳しい番所を通らねばなりません。
この為に筑前勤皇党の同志らの助けを借り、
同道して番所を通る事を計画。
晋作は博多への入口石堂橋手前の水茶屋で、
筑前勤皇党の瀬口三兵衛と共に、
同志らを待っていました。


若松屋(常盤館)跡」。
晋作が同志を待ったという水茶屋若松屋の跡。
233博多Ⅱというビルの入口に碑があります。
但し実際の場所から少しずれているらしく、
もっと石堂橋の近くだったとのこと。


常盤館跡」碑。
若松屋は維新後に常盤館と改称し、
一流料亭として博多では知られていたという。
常盤館には伊藤博文西郷従道頭山満
平岡浩太郎孫文宮崎滔天杉山茂丸
安川敬一郎夢野久作等の著名人が訪れました。


新茶屋の跡」碑。
この周辺は新茶屋と呼ばれていたようで、
若松屋の他にも水茶屋が軒を連ねており、
芸妓も多く在籍していたようです。

同志の到着を待ちくたびれた晋作は、
柳町に移動する」と若松屋の幼女を背負い、
瀬口三兵衛に若松屋の提灯を持たせて、
石堂橋を渡って番所を過過。
柳町への集金のテイで門番を欺いた晋作は、
柳町遊郭梅ヶ枝屋に入りました。
やがて遅れて同志達が若松屋にやって来て、
晋作が柳町に行ったと聞いて後を追い、
梅ヶ枝屋で晋作と合流。
夜になって石堂川沿いに河口へ向かい、
浜伝いに対馬藩邸に走ったとされます。

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