吉田松陰の東北遊学⑥

つづき。
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嘉永5年閏2月2日。
雨。朝、蔵田太中の息子が来て、
一緒に金銀銅分離工程を見学。
その後①相川を出発して②八幡に至り、
順徳天皇行在所に参拝する。
金丸、③目黒を通り加茂郡に入り、
新穂、④潟上原黒の諸村を経て、
に宿泊。
※湊は両津湾加茂湖を隔てる砂州の港。
 加茂湖は日本の離島で最大の湖。

閏2月3日。
大風、霰、雹。夷間の橋で湖を望めるが、
海霧で何も見えない。
来た道を戻って目黒へ。
新町を通って⑦小木港に戻り宿泊。
以後は9日まで天候不良の為に足止め。


閏2月2日~閏2月3日の行程。

閏2月10日。
辰(午前8時)前に①小木港を出港。
午後(正午頃)に②出雲崎に到着。
寺泊まで歩いて宿泊。

閏2月11日。
寺泊を出て④新潟へ。
日野三九郎宅に宿泊。
以降、中川立菴宅と日野宅を交互に宿泊し、
7日間新潟に滞在。
※この長期滞在は北上を諦めきれず、
 松前行きの船を捜していた為。

 結局は諦めて陸行を決意します。

閏2月18日。
中川父子、日野、氏家晋
味形関右衛門に送られて五材橋に至る。
五材橋から舟に乗り、水路を抜け松崎へ。
海岸を歩き次第浜を経て⑤藤塚宿に宿泊。

閏2月19日。
藤塚を出て海沿いを歩き⑥桃崎へ。
荒川を渡り対岸の塩谷町から岩船に至る。
岩船から⑦村上城下
瀬波川(三面川)を舟で渡り、
猿沢を過ぎて⑧塩野町で宿泊。
新発田藩三日市藩黒川藩村上藩と、
 城下町をほぼスルー。
 新潟での遅れを取り戻そうとしたのか、
 余程急いでいるように感じられます。



閏2月10日~閏2月19日の行程。

つづく。

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