吉田松陰の東北遊学⑦

つづき。
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嘉永5年閏2月20日。
塩野町の宿を出て大隅(大須戸)に至る。
大雪で道がわからないので、
人を雇って葡萄峠を越え大沢へ。
中村田中を経て海浜に出る。
碁石を過ぎで②大川宿に宿泊。

嘉永5年閏2月21日。
宿を出て海沿いを歩き、
小さな村を二つ越えて③鼠ヶ関に至る。
浜熱海(温海)を過ぎ、
三瀬に至り海岸を離れて進み、
大山宿で宿泊。
※鼠ヶ関は白河関勿来関と共に、
 奥羽三関と呼ばれた奥羽への玄関。

嘉永5年閏2月22日。
宿を出て進むと高楼の城跡があり、
現地人曰く酒井備中守の居城だったとの事。
しばらくいくと海浜に出て最上川に至る。
中間に浜中宿あり舟で川を渡る。
川を越えて⑤酒田へ。
新潟以北で最も繁盛の地なり。
吹浦で宿泊。
※高楼の城跡は江戸前期の大山藩の陣屋。
 庄内藩の支藩でしたが僅か1代で断絶。
 酒田には
本間家もある筈ですが、
 素通りしたようです。

嘉永5年閏2月23日。

関所を抜け女鹿を越えるとまた関所。
関所から飛島を望むとかなり近くに感じた。
海浜の平砂を行き塩越に至る。
象潟木浦(金浦)を経て、
本荘城下に宿泊。

嘉永5年閏2月24日。
宿を出て海岸線を進む。
雄物川を渡り夕刻に⑧久保田城下に到着。
翌日敦賀屋新六を訪問し、
翌々日に久保田を出発。

※見るべきモノは沢山あると思われますが、
 わき目も見ずに北上している様子。
 特に
庄内藩などは兵学者として、
 学べる事があると思うのですが・・。


閏2月20日~閏2月24日の行程。

嘉永5年閏2月26日。
①久保田を出発し土崎湊へ。
馬で7里、徒歩で4里進み②鹿渡に宿泊。
秋田県山本郡 鹿渡宿跡

嘉永5年閏2月27日
馬で出発。森岡豊岡大久保
檜山多賀谷家の居所。
秋田県能代市 檜山宿跡
※多賀谷家は久保田藩佐竹家の一門。
鶴形を越え飛根荷上場の間は舟。
荷上場からは雪水で舟が出ていないので、
山を越えて③小綱木(小繋)に宿泊。
秋田県能代市 荷上場宿跡
秋田県能代市 小繋宿跡
※荷上場から小繁は一里渡しが通常ルート。
 松陰らは山道を通っています。

小繁で同宿の青森帰りの加賀の船頭から、
 「
津軽海峡を通った西洋船が
  今年は3~4隻いた
」と聞いています。

嘉永5年閏2月28日。
宿を出て坊沢綴子を経て④大館城下へ。
山内儀兵衛宅に宿泊。
秋田県大館市 吉田松陰先生遊歴記念碑

嘉永5年閏2月29日。
山内宅を出て矢立峠を越え。
秋田県大館市 矢立峠
碇ヶ関を経て、
青森県平川市 碇ヶ関宿跡/御関所跡
弘前城下へ到着。
弘前藩儒伊東梅軒を訪ねる。
青森県弘前市 吉田松陰来遊の地/附松陰室
以後、3月2日まで弘前に滞在。
相馬大作が待ち伏せした場所に行き、
 地元民にその際の事を尋ねており、

 秋田県大館市 相馬大作事件之地
 矢立峠の御休所茶亭跡には、

 それについて説明板が建てられています。
 伊東梅軒旧宅は松陰室として現存。




閏2月26日~閏2月29日の行程。

つづく。

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