松陰は水戸滞在中、会沢正志斎宅を何度も訪問しています。
また、後から追った宮部鼎蔵と江帾五郎とも合流。
水戸には結局約1ヶ月も滞在しており、
出発は年が明けた嘉永5年1月20日になりました。
今回は旅の行程がメインですので、水戸滞在時については割愛し、
水戸から出発する1月20日から再開します。
嘉永5年1月20日。
水戸を出発。永井芳之助が青柳の渡しまで見送ってくれる。
菅谷を通って久慈川を渡り、森山宿で宿泊。
※永井芳之助は、松陰が水戸で頼った永井政助の息子で、
後に天狗党の乱に参加。古河で捕らえられ斬首されています。
1月21日。
森山宿を出発。浜街道を通って下手綱で宿泊。
宿の主人に阿久津彦五郎宅へ明日の案内を願うと、
主人は阿久津に使いを出し、夜に阿久津が宿に訪ねて来た。
※阿久津彦五郎は、下手綱で塾を開いていた学者で、
剛直で気概高く、講義を聞けば心励み正義感が盛り上がると、
遠方にも知られた人物で、槍の達人でもあったようです。
1月22日。
阿久津彦五郎宅を訪問。
阿久津の案内で赤浜の長久保赤水の墓を詣でる。
磯原の野口源七宅に投宿。
※長久保赤水は当時流通していた日本地図を書いた学者。
1月23日。
宿を出て大砲の無い台場に登り大津浜へ。
昼頃に勿来関を越えて奥州に入る。
そのまま北上して上田(植田)に宿泊。
※大津浜は28年前に英国人が上陸した大津浜事件があった場所。
台場はどこにあったかわかりませんが、
そんな事件があった場所なのに、大砲も無いという状況でした。
後宿公園に「殉国 吉田松陰先生遊歴之地」碑があります。
1月20日~1月23日の行程。
1月24日。
上田の宿を出て、田人から御斎所峠を越えて竹貫で宿泊。
※古殿町竹貫池ノ内には「吉田松陰遊跡記念碑」があります。
1月25日。
鎌田、仙石、石川、赤羽を経て白河に到着。
※白河に3日滞在。その間に剣客箕田大六や、
平井勘五郎、青木造飢右衛門、山田喜内と会いますが、
大した人物達ではなかったのか酷評しています。
1月24日~1月25日の行程。
つづく。
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