嘉永4年12月15日。
村童に学而の首章を講義した後、
朝五ツ時(午前8時頃)に①本福寺を出る。
※学而とは論語の第一篇で、
論語のさわりを説明したのでしょう。
本福寺には吉田松陰脱藩の道碑と、
吉田松陰 当山に宿す碑がある他、
水戸藩諸生党佐藤久太郎の墓もあります。
街道に戻り、北上。
②小金宿を過ぎると広い草原が広がり、
これが小金牧の幕府の軍馬放牧場のようで、
野馬が9匹見えた。
※小金牧は馬の放牧の他に、
将軍の鹿狩も行われており、
13代将軍徳川家慶の鹿狩には、
一橋慶喜も同行しています。
真っすぐ行けば安彦、土浦を経て、
そのまま水戸に出るが、
追手を避けて水海道を行く事にする。
左折して小路に入り花井村を経て、
③船戸から利根川を渡り、
④水海道宿で宿泊。
12月15日の行程。
嘉永4年12月16日。
①水海道宿を出て少し歩いて右折し、
田の間の小路を通って、
②四手の渡しから小貝川を渡る。
※四手は仕出のようですが、
現在は地名が変わっており、
現在の吉野公園のあたりのようです。
豊田宿より右折して松の間の小路を進み、
大砂や田中等の村から北条宿へ。
北条宿を過ぎて筑波山に登り、
半腹の③筑波宿に泊まる。
※豊田は小貝川の西側で、
既に小貝川を渡っているので、
豊里の間違いではないでしょうか?
嘉永4年12月17日。
筑波山の女体、男体の二峰に登る。
山嶺を越えて④真壁宿に下り、
⑤笠間城下に宿泊。
夜に時習館教授森田哲之進が訪ねて来た。
嘉永4年12月18日。
笠間藩の藩校時習館で孟子を講義。
※松陰は時習館に招かれ、
学頭の加茂多十郎、須藤文太夫、
森田哲之進、守岡善八郎ら、
25名の前で講義を行っています。
夜、兵法家手塚多助が来訪。
嘉永4年12月19日。
笠間から親関、大足、大塚、赤塚を通り、
⑥水戸城下へは夕刻前に到着。
水戸藩士永井政助を尋ねる。
12月16日~19日の行程。
つづく。
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