前回七戸城跡を訪問したのは真冬で、
※記事はこちら。
膝まで積もった雪をかき分けながらの登城。
今度は雪の無い季節に再訪しました。
「七戸城東門」。
国道拡幅工事で伐採した奥州松並木を使い、
平成20年に復元された東門。
前回訪問時には閉じられていましたが、
今回はしっかり開いています。
東門の先。
雪で真っ白でしたが今回は緑色。
菖蒲園と思っていたらもう少し奥でした。
「姫塚」。
悲しい伝説を持つ姫塚。
伝説は前回の記事で書きましたので省略。
姫と身分の低い若者が恋に落ち、
それを知った殿様が若者を殺してしまい、
姫が後を追って自害したというお話。
前回は雪で気が付かなかったのですが、
小さな石にお供えがされていました。
殺された若者のものでしょうか?
「二ノ丸跡」。
廃城した後に七戸代官所となった二ノ丸跡。
明治2年に正式に七戸陣屋となっており、
代官所をそのまま使用したと思われます。
「北館跡」。
一面が雪で覆われていた北館跡は、
雑草に覆われた場所でした。
北館には城主の居館がありましたが、
中世城郭のわりに本丸、二ノ丸でないのは、
地形を見れば納得できます。
この場所は北側は貝の口に守られ、
西や南は角館、西館、
東は本城に守られており、
実は一番安全な場所でした。
麹町南部家の立藩は諸侯に列する為で、
盛岡藩の蔵米支給で藩経営は必要なく、
藩庁は存在していませんでした。
しかし城主格大名に昇進した際に、
領地や藩庁が必要であると幕府に指摘され、
盛岡藩は三本木の分与を報告しています。
とはいえ陣屋が建てられた形跡はなく、
幕末の動乱でうやむやとなっていました。
戊辰戦争後の新政府の方針により、
新田藩主は諸侯とみなされなかった為、
盛岡藩家老新渡戸傳は一計を案じ、
三本木を含む七戸を麹町南部家の領地とし、
新政府に七戸藩を正式に認めさせています。
季節を変えての訪問は、
新しい発見があって面白い。
特に雪、桜の季節は、
どの城も表情を変える事でしょう。
【盛岡新田藩→七戸藩】
藩庁:七戸陣屋(江戸期は江戸藩邸のみ)
藩主家:麹町南部家(七戸南部家)
分類:1万1千石、外様大名
(盛岡藩支藩、定府)
■関連記事■
・青森県上北郡七戸町 七戸城跡①/②
全体が雪で覆われていました。
・東京都港区 金地院/七戸南部家墓所他
旗本時代の当主2、3、5代。
・青森県上北郡 瑞龍寺/七戸南部家墓所
幕末の藩主南部信民らの墓所。
・岩手県盛岡市 盛岡城跡
盛岡藩南部宗家の居城跡。