大館市の一心院に真田幸村の墓があります。
幸村(真田信繁)の墓は各地にありますが、
基本的には供養墓と呼ばれるもので、
実際の遺骸の埋められた墓はありません。
※首塚は福井県の孝顕寺にあるという。
しかし生存説に基づく埋葬墓とされる墓が、
鹿児島県南九州市とこの一心院にあります。
大坂夏の陣で討たれた幸村は影武者で、
豊臣秀頼と共に薩摩に逃れたとされ、
芦塚左衛門と名乗って隠れ住んだとのこと。
また別の話では薩摩に逃れはしましたが、
島津家が幕府に恭順して危険であった為、
薩摩を出て各地を放浪した末に、
佐竹家に庇護されて大館に居住し、
信濃屋長左衛門を名乗って暮らしたという。
その信濃屋長左衛門の墓がここにあります。
「本堂」。
常陸国で創建された浄土宗の寺院で、
佐竹氏の秋田遷封で大館に移転しました。
大館戦争の戦火で焼失していますが、
後に再建され現在に至っています。
佐竹西家家臣の墓もあるようですが、
かなり雪が積もっていましたので、
今回は真田幸村の墓だけ探しました。
「信濃屋長左衛門琴
真田左衛門左幸村之墓」。
右の破損が酷いものが本来の墓石で、
左は子孫が昭和28年に建立したもの。
幸村(長左衛門)は農業や真田紐の生産し、
生計を立てていたとされており、
後に酒造業を営んたとのこと。
その後75歳で天寿を全うし、
嫡男真田大助は姓を飯田に改めて、
大館で没したと云われています。
こういうのは野暮な話は抜きにして、
ロマンとして楽しみましょう。
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