福岡県福岡市 崇福寺/高場乱先生之像

三奈木黒田家の墓所に参った際、
隣接の玄洋社墓地が前と違っていました。
行ってみると牛に乗った老婆の像。
女傑高場乱の像のようです。


高場乱先生之像」。
生誕190年記念に建立された銅像。
今年3月の序幕とのこと。
像は色付きの華やかなもので、
女性らしい優しい雰囲気があります。
高場乱は博多の眼科医高場正山の末子で、
男子として育てられていたようです。
これは藩に許可されていたようで、
10歳で元服も果たしていました。
16歳で嫁ぎはしましたが、
自ら離縁して実家に戻っており、
20歳で儒学者亀井昭陽に入門。
明治6年に私塾興志塾(人参畑塾)を開設し、
医業の傍らで忠孝節義を説いています。
門下には乱暴者が多かったようで、
他で断られた者も受け入れていたという。
彼女に学んだ門下生の多くが、
後に玄洋社の主要メンバーとなっており、
その精神的支柱ともなりました。
門下のひとりである来島恒喜が、
大隈重信爆弾テロを仕掛け、
その後に自殺した件を批判しており、
翌年に病を患っていますが、
一切の治療を拒んで衰弱。
明治24年に死去しています。

リアルオスカルな高場乱。
若い頃の男装の麗人ではなく、
優し気な老年の姿はなかなか良い。
に乗ってるのも素敵です。

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東京都文京区 護國寺
 大隈重信の墓所があります。