文久3年8月18日、
八月十八日の政変が発生。
大和行幸延期、急進派公家15人の禁足及び、
長州藩を堺町門の警備の任から解き、
京都からの退去が勧告されます。
失脚した公家15人のうち、
三条実美ら七人の公卿(七卿)は、
※七卿は三条実美の他に、
三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、
壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉。
妙法院に集い長州藩と今後について協議。
長州に下って再起を図る事となりました。
8月19日雨。
七卿は長州藩兵約2000名と共に、
①妙法院を蓑笠に草鞋履の姿で出発。
②芥川宿に宿泊。
大坂府高槻市 芥川宿跡
8月20日雨。
③西宮宿に到着し本陣に宿泊。
8月21日。
④兵庫津に到着し楠木正成廟に参詣。
深夜に七卿は三隻の船に分かれ乗船。
しかし暴風で出航出来ず。
七卿落ちの行程1。
8月19日~21日まで。
8月22日夕刻。
風が収まったので①兵庫津を出航。
長州藩の船団も同じく出航。
8月23日。
②牛窓浦に寄港。
8月24日。
午後に③鞆浦に寄港。
広島県福山市 鞆の浦①
朝廷によって七卿の官位剥奪が決定。
蔵元中村家に宿泊。
七卿落ちの行程2。
8月22日~24日まで。
8月25日。
①鞆浦を出航し②御手洗浦に寄港。
夜から暴風雨。
③室津に寄港し一部が本陣肥後屋に宿泊。
山口県熊毛郡 五卿の宿 肥後屋跡
8月26日。
前日からの暴風雨で船団はばらけ、
七卿の船が一隻のみ④三田尻に到着。
※東久世と澤が乗船。
二卿は三田尻御茶屋に入る。
他の二隻は⑤笠戸島に避港。
8月27日。
二隻が徳山藩の⑥東浜崎に入港。
城下の商家で休息した後、
結髪と入湯して駕籠で三田尻へ。
徳山陣屋に寄って昼食を取り、
周南市徳山 徳山陣屋跡
福川宿まで行って夕食。
山口県周南市 福川宿跡
深夜に三田尻御茶屋に到着して合流。
七卿落ちの行程3。
8月25日~27日まで。
以上、七卿落ちの行程でした。
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第一次長州征伐後に五卿は大宰府へ。