美作高田城は真庭市勝山にあった山城で、
美作国高田荘の領主三浦氏が築城し、
その本拠としていました。
戦国時代初期に尼子家が勢力を伸ばし、
一旦は城を奪われるも奪還していますが、
永禄7年(1565)に毛利家麾下の三村家親が、
高田城を攻めて当主三浦貞勝は自刃。
以後三浦家残党は毛利家と幾度も戦い、
城を幾度も奪還していますが、
最後は毛利家により滅ぼされています。
高田は毛利家、宇喜多家と支配者が変わり、
関ヶ原の戦い後は小早川秀秋を経て、
津山藩森家の所領に組み込まれますが、
森家改易後は幕府領となり高田城は廃城。
その後の明和元年(1764)に三浦明次が入り、
幕府の許可を得て高田城は修築され、
山麓を中心に整備が行われます。
整備が行われた高田城は勝山城を命名され、
美作勝山藩の藩庁となっており、
以後は廃藩まで三浦家の居城となりました。
※かつての城主であった三浦家とは、
先祖を同じくした別家。
「二ノ丸跡」。
二ノ丸跡は城山グラウンドとなっており、
綺麗に整地されています。
西側に二重櫓跡があるようですが、
木々が生い茂って確認出来ませんでした。
「本丸登城口」。
城山グラウンドより車道を北へ進むと、
本丸登城口に辿り着きます。
周辺には駐車場は無いので徒歩。
登城道は結構な山道。
途中にはいくつかの曲輪跡があります。
「二丸跡」。
説明板や東屋の設置された二丸跡。
「本丸跡」。
本丸入口には虎口が形成されています。
高田城時代は建物もあったようですが、
勝山城時代は何も建てられませんでした。
勝山城時代は山間部は破棄されて、
二ノ丸の二重櫓が天守の代わりだった模様。
「三ノ丸跡」。
山麗の三ノ丸に御殿が築かれていますが、
その正確な位置は不明。
地形を見る限り市立中央図書館辺りか、
勝山保健福祉センター辺りでしょう。
「水堀」。
図書館前には水堀が残っています。
「高田城三の丸遺跡」。
旧勝山町役場の駐車場整備の際、
発掘調査が行われて発見された生活遺跡で、
掘立柱建物や礎石建物遺構の他、
天目茶碗、陶磁器、武具等、
戦国~江戸初期の遺物が出土しています。
美作勝山藩は三浦明次が2万3000石で立藩し、
廃藩置県まで三浦家が支配しました。
2万3000石ながら譜代の城主大名であり、
西尾藩から転封した際に、
廃城となっていた高田城を再建。
これを勝山城と命名して藩庁としています。
とはいえ殆ど陣屋規模であったようで、
二ノ丸の二重櫓で城の体裁を保った模様。
美作勝山藩は山間部に所領を持ち、
その財源は領内の鉄鉱山頼りでした。
幕末期の藩主9代三浦弘次は佐幕派で、
長州征伐に藩兵を派遣していますが、
世子の10代三浦顕次は勤皇派であった為、
藩是は次第に勤皇寄りに変化したようです。
明治2年には藩名を真島藩に改称し、
明治4年に廃藩置県で廃藩。
真島県から北条県に編入された後、
明治9年に岡山藩に合併さてました。
【美作勝山藩→真島藩】
藩庁:勝山城(陣屋規模)
藩主家:三浦家
分類:2万3000石、譜代大名
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