大隈宿跡の街道沿いの麟翁寺に、
黒田武士母里太兵衛友信の墓所があります。
「山門(元益富城搦手門)」。
山門は益富城の搦手門を移築したもの。
「本堂」。
麟翁寺は始め永忠寺と称しており、
益富城主後藤又兵衛が母を弔う為に創建。
後に又兵衛が黒田家から出奔した為、
新たに益富城主となった母里太兵衛が、
自らの菩提寺と定めて庇護しました。
太兵衛は60歳で死去しており、
永忠寺に埋葬されていますが、
その際に麟翁寺と改称されています。
「母里但馬守友信之墓(左)」、
「母里友晴之墓(中央)」、
「花巖宗栄禅定門 尊霊(右)」。
左から母里太兵衛友信、子の母里友晴、
孫の母里友清の墓。
太兵衛友信は黒田二十四騎のひとりで、
黒田家の戦では常に先鋒を務めて活躍し、
豪傑として知られていましたが、
一番有名な話は黒田節の逸話です。
福島正則の元へ使わされた太兵衛は、
正則の屋敷で酒を勧められますが、
使者として参った手前これを固辞。
これに正則はしつこく酒を勧め、
更に黒田武士は酒に弱いと貶めた為、
太兵衛は大盃の酒を一気に飲み干し、
褒美として名槍日本号を所望。
正則は仕方なく日本号を与え、
太兵衛は天下の名槍を呑取りました。
この逸話が広く知られるようになり、
民謡黒田節として歌われています。
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