伊東義祐は日向伊東家11代当主で、
飫肥藩初代藩主伊東祐兵の祖父。
伊東家最大の版図を築いた当主でしたが、
木崎原合戦で島津軍に敗れ衰退します。
以降は徐々に勢力は削られてしまい、
豊後に落ちて大友宗麟を頼りますが、
大友軍も耳川合戦で島津軍に大敗。
その後は伊予、播磨と流浪し、
後に同族伊東掃部助の斡旋により、
孫の伊東祐兵が羽柴秀吉に仕官しました。
義祐は孫の仕官を見届けた後、
供の黒木宗右衛門尉と各地を放浪。
後に黒木を撒いて一人旅をしています。
「慈光寺」。
慈光寺は真宗本願寺派の寺院。
楠木正成の孫である圓二房賢知により、
文明7年(1475)に創建された寺で、
浄土真宗布教の拠点「紺屋道場」として、
信証院や善教寺と共に堺三坊と称されました。
この慈光寺に伊東義祐の墓があります。
「伊東義祐墓」。
風化で墓碑は丸みを帯びており、
碑銘も消えて読めません。
義祐は世を捨てた気ままな旅を続けますが、
病を機に祐兵の住む堺へ向かいます。
しかし堺行きの船中で病状が悪化し、
面倒を嫌う船頭によって義祐は砂浜に放置。
偶然これを知った祐兵の従者に発見され、
堺にあった祐兵の屋敷に運び込まれ、
7日間の手厚い看病を受けましたが、
その甲斐も無く73歳で死去しています。
伊東祐兵は後に大名に出世しており、
約10年越しに日向国に復権。
飫肥藩を立藩して廃藩置県まで続きました。
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江戸時代以前の当主墓所。
