奥の院墓地にある紀州徳川家の墓所。
奥の院墓地にある紀州藩の墓所は、
墓所内に数ヶ所点在していますが、
ここにあるのは2~4代、6代の墓。
5代は将軍となった徳川吉宗ですので、
初代以外の前期藩主の墓所になります。
「紀州徳川家(2、3、4、6代)墓所」。
建てられている標柱は大雑把なものが多く、
多くは「〇〇家墓所」と記されていますが、
こちらはしっかり被葬者を記載。
全てがこれなら大変助かりますね。
各藩主の墓碑は小さいのですが、
かつては霊屋で覆われていたと思われます。
「清渓院殿」。
2代藩主徳川光貞の墓。
光貞は初代徳川頼宣の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
善政を敷いた良君とされており、
領民に慕われて31年の治世を担いました。
「高林院殿」。
3代藩主徳川綱教の墓。
綱教は2代光貞の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しますが、
僅か7年で急死しています。
「深覺院殿」。
4代藩主徳川頼職の墓。
頼職は2代光貞の三男として生まれ、
兄の綱教が紀州藩の家督を継いだ為、
5代将軍徳川綱吉より3万石が与えられ、
越前国高森に高森藩を立藩。
しかし綱教が病を得て倒れた事により、
急遽その養子となっています。
宝永2年(1705)3月に綱教は死去し、
その家督を相続していますが、
同年8月に隠居していた父光貞が危篤となり、
その臨終に立ち合うべく和歌山へ帰国。
なんとか臨終には間に合いましたが、
無理な移動が祟って病気となり、
同年9月に死去してしまいました。
つまりここにある3基の藩主は、
同年に死去した藩主らであるようです。
5代藩主徳川吉宗は宗家を相続し、
7代征夷大将軍となっています。
「大慧院」。
6代藩主徳川宗直の墓。
御連枝の西条藩初代松平頼純の五男で、
後に西条藩2代藩主となっています。
5代藩主徳川吉宗が宗家を相続した為、
紀州徳川家の家督を相続。
正室は生涯持ちませんでしたが、
その代わりに11人の側室がいたようで、
六男十女と子宝に恵まれており、
紀州藩主となった2人の息子の他にも、
西条藩松平家、吉井藩鷹司松平家、
湯長谷藩内藤家に養子を出しており、
姫らは諸藩の正室継室となっています。
41年の長きに渡り藩主を務めた後、
宝暦7年(1757)に死去しました。
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