晴天の休みの日。
色々と史跡を訪問したりしたいのですが、
先立つものが無ければ遠くに行けない。
そこで久々に東行庵に行ってみました。
「東行庵」。
東行庵はいつも季節の花々が咲いています。
東行池には錦鯉が泳いでいますので、
子供達も退屈じゃない。
「高杉晋作像」。
久々ですがまだまだピカピカですね。
変な言い方ですが、
早く劣化しないかなって思う。
時間の経過で威厳ってものが出ますので。
今回は奇兵隊幹部らの手植えした木の碑を、
探して紹介しようと思います。
その裏面には明治戊辰之春と刻まれており、
明治元年の春、つまり戊辰戦争に出征前に、
植樹されたものに添えられたもの。
遥か北陸、東北に出征するにあたって、
戦死して戻って来らないかもしれない。
せめて植樹した木が育って、
後世に残ればと考えたのかもしれません。
「時山将軍手栽」碑。
まずは参謀時山直八が植樹した樫の木の碑。
越後朝日山の戦いで戦死した時山ですが、
植樹した樫の木は大きく育っています。
「三好将軍手栽」碑。
参謀三好軍太郎の植樹した樫の木の碑。
三好は戊辰戦争から凱旋し、
西南戦争などにも従軍。
陸軍中将にまで昇進して、
後に子爵に列せられています。
植樹した樫は朽ちてしまったようですが、
根が生きていたようで、
2本の新木が生えていました。
「三浦将軍手栽」碑。
小隊司令三浦梧楼の植樹した松の木の碑。
三浦も凱旋して陸軍中将になっています。
残念ながらその松は枯れてしまい、
地元の人がその幹を置物に加工して、
三浦子爵家に贈ったらしい。
「福田将軍手栽」、
「鳥尾将軍手栽」もあるらしいのですが、
今回は見つけられず。
双方とも植樹した木は残っておらず、
何を植えたのかも定かではないようです。
山縣有朋のものが無いのが不思議ですが、
東行庵は当時山縣邸無隣庵なわけで、
自分の庭に碑を建てるのもと思ったのかな?
さてこの時期の碑とは別に、
植樹された木々の碑があります。
これらは高杉晋作顕彰碑の除幕式の際に、
植樹されたもののようです。
「公爵毛利元昭閣下手植伊吹樹」碑。
長州藩最後の藩主毛利元徳の長男で、
宗家当主毛利元昭が植樹した伊吹の碑。
晋作の顕彰碑の左脇にあります。
「侯爵井上馨閣下手植伊吹樹」碑。
晋作の盟友井上馨の植樹した伊吹の碑。
除幕式での井上の熱弁は、
卒倒者が続出したほどの熱弁でした。
※記事はこちら。
碑の場所は顕彰碑の左脇の茂みの中。
「公爵伊藤博邦閣下手栽」碑。
伊藤博文のものかと思ったら、
伊藤の養子で井上馨の甥伊藤博邦のもの。
伊藤は除幕式の際には既に暗殺されており、
代わりに博邦が来たのでしょう。
碑は顕彰碑の左側前方の崖あたり。
「公爵山縣有朋閣下手植月桂樹」碑。
除幕式の際には山縣も植樹しています。
碑は福田公明の顕彰碑の左前。
「伯爵寺内正毅閣下手植月桂樹」碑。
ビリケン宰相寺内正毅も植樹してます。
しかしながら周辺に月桂樹が無いので、
枯れてしまったのでしょう。
寺内は奇兵隊士ではありません。
「子爵杉孫七郎閣下」碑。
福田の顕彰碑の右後ろの木の根元。
ここにあったかは定かではありません。
というのも下の写真が別の場所にあるから。
月桂樹の部分を残して折れています。
これが先ほどの杉の碑のもののようですね。
三浦梧楼の碑もあったようなのですが、
見つけられませんでした。
三浦は明治元年春にも植樹していますので、
それが2度目になります。
今回は手植え関連の碑を紹介しましたが、
東行庵はまだまだ沢山の碑があります。
また別視点でご紹介してみようと思います。
みよちゃんとゆきちゃんは、
タンポポの綿帽子を見つけてご機嫌。
あなたたちの飛ばした綿毛も、
またどこかで花を咲かせることでしょう。
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