山家追分は長崎街道、薩摩街道が分岐し、
日田往還が交差する交通の要所で、
福岡藩が番所を置いていました。
筑紫野市山家周辺。
緑の線が長崎街道で紫の線が薩摩街道。
水色の線が日田街道です。
地図中央の交差が山家追分で、
青でぼかした辺りが山家宿跡。
「山家宿番所跡(左)」、… 続きを読む
福岡県筑紫野市 山家追分
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山家追分は長崎街道、薩摩街道が分岐し、
日田往還が交差する交通の要所で、
福岡藩が番所を置いていました。
筑紫野市山家周辺。
緑の線が長崎街道で紫の線が薩摩街道。
水色の線が日田街道です。
地図中央の交差が山家追分で、
青でぼかした辺りが山家宿跡。
「山家宿番所跡(左)」、… 続きを読む
山家宿は長崎街道の筑前六宿のひとつで、
薩摩街道の起点にもなっていました。
筑紫野市山家周辺。
緑の線が長崎街道で紫の線が薩摩街道。
水色の線が日田街道です。
地図左下の交差が山家の追分で、
青でぼかした辺りが山家宿跡。
北側から散策。
「山家宿東構口跡… 続きを読む
内野宿は長崎街道筑前六宿のひとつですが、
街道筋が国道から外れてしまった為か、
江戸時代そのままに道が残っており、
往時の宿場の面影を留めています。
飯塚市内野周辺。緑の線が街道筋で、
青の線は大宰府への裏街道。
青でぼかした辺りが内野宿跡です。
東構口から西構口までは約600mで、
その中央辺りでT字に道が伸びていました。… 続きを読む
飯塚宿は長崎街道の宿場町で、
福岡藩領の筑前六宿のひとつでした。
縄文、弥生時代から開けていたとされ、
大陸(前漢)との交流もあった先進地で、
広い穀倉地帯でもあったという。
江戸時代には水運業と宿場町で栄え、
明治時代以降は炭鉱の町としても繁栄。… 続きを読む
青柳宿は唐津街道の宿場町。
畦町宿と筥崎宿の間に位置し、
慶長10年(1605)頃に上町、横町が整備され、
寛永2年(1625)に下町、中脇、
承応2年(1653)に新町… 続きを読む
黒崎宿は長崎街道の1番目の宿場町で、
福岡藩領の東端にあたります。
また上方への渡海船の港もあった為、
多くの旅人が宿場を利用していました。
八幡西区黒崎周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが黒崎宿跡。
東側より散策。
「黒崎宿東構口跡」碑。
東側の入口にあたる場所で、
隣接する… 続きを読む
木屋瀬宿は長崎街道の宿場町で、
筑前国内に六宿あった宿場のひとつ。
※黒崎宿、木屋瀬宿、飯塚宿、内野宿、
山家宿、原田宿の六宿。
宿場と遠賀川の水運業で栄え、… 続きを読む