参勤交代制度があった事や、
隠居後も江戸で生活を送っていた為、
中津藩の藩主の殆どは江戸で死去。
遺骸は品川区の清光院に葬られ、
国許に墓は建てられませんでしたが、
7代藩主奥平昌猷は唯一領内で死亡し、
葬儀が行われて自性寺に葬られました。
自性寺は歴代の菩提寺で臨済宗の寺院。… 続きを読む
「福岡県」カテゴリーアーカイブ
大分県中津市 中津宿跡
中津宿は中津街道の終点であり、
日田中津往還、日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。
中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
ピンクの線が日向街道です。
青でぼかした辺りが宿場跡。
「小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、… 続きを読む
福岡県北九州市 芦屋台場跡
唐津街道芦屋宿近くにある芦屋台場跡。
「芦屋台場跡」。
福岡藩では領内海岸の防備の為に、
沿岸各所に台場を建設して藩士を配備。
芦屋にも文久3年頃に砲台が造られ、
農民が徴用されたようで、
大砲の打ち方を練習していたという。
「常陸丸殉難勇士之碑」。
台場跡碑の上の方にある慰霊碑。
明治37年に陸軍徴傭運送船常陸丸… 続きを読む
福岡県北九州市 芦屋宿跡
芦屋宿は唐津街道の宿場町。
旅籠(平旅籠や飯盛旅籠)や木賃宿が多く、
江戸中期までは賑わっていたようですが、
街道メインが木屋瀬宿経由となってからは、
宿場としての繁栄は少なくなっています。
とはいえ遠賀川の河口に位置した為、
年貢や特産品の積出港として大いに栄え、
裕福な商家が軒を連ねていたという。
芦屋西浜町、幸町周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
福岡県北九州市 若松宿跡
若松宿は洞海湾の入口に形成された宿場町。
戸畑からは渡し船が出ており、
現在も若松区、戸畑区を結んでいます。
江戸初期から中期までの若松宿は、
唐津藩、福岡藩の参勤交代に使われ、… 続きを読む
福岡県北九州市 きんたま坂
唐津街道を小倉宿より海岸沿いを進み、
刑場を越えて内陸に入る坂に、
少々品の無い名称が付けられています。
「きんたま坂」。
それ程急ではない変哲もない坂。
上側に金玉坂の石柱があったようですが、
現在は失われてしまったようです。
この品の無い名称の由来ですが、
付近に住む木こりが囲炉裏の火で、
誤って急所… 続きを読む
福岡県北九州市 日明処刑場跡
小倉藩で裁かれて極刑となった受刑者は、
城下の八百屋町牢屋より出獄し、
板櫃川に架かる地獄橋を渡り、
※現在の極楽橋。
干上村を過ぎて地蔵ヶ鼻に連行されます。
そこには藩の仕置場があったようで、
四方には矢來が結ばれて、
検死役… 続きを読む