【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

ペリーに相撲を披露する

嘉永7年。
ペリー艦隊の2度目の来航の際、
幕府はペリーや艦隊水兵らに、
相撲を披露することになります。

力自慢の力士達30人が、
艦隊への進物米200俵を運び、
米俵を軽々と持ち上げる力士達に、
水兵らは唖然としたとか。
幕府が力士達を動員したのは、
ペリーへの牽制の意味もあったらしい。
土俵入りや稽古相撲も行ったようで、
迫力ある相撲のぶつかりに、
彼らは驚いた事でしょうが、
ペリーはあまり気に入らなかったようで、
芝居がかっている」… 続きを読む

欧州と日本の定期航路

幕末期にたくさんの外国人が横浜や長崎などに来ていますが、
どうやって来てたのかとふと疑問に思って調べたら、
普通に定期船が通っていたんですね。
そりゃそうだ・・・。いちいち軍艦で運んでられないわな。

日本への初の定期航路を開設したのは、
英国の「ペニンシュラー&オリエンタル汽船会社P&O社)」。
ロンドンから地中海を通りアレクサンドリアへ。
そこからラクダ(後に鉄道)でスエズまで陸路。
別の船でアデン、インド、シンガポール、香港、そして上海。
すでに10年近く前に、上海までの定期航路を開設しています。


P&O社続きを読む

安政の地震と現代の地震③

//③

安政江戸地震の際に将軍は何してたのか?
当時の将軍の動きを語る資料は、
どうも見つかっていないらしい。

とはいえ重臣達の動きを記した記録はあり、
本丸御殿から吹上庭園(現吹上御苑)に、
非難したと推測されるようです。

また、江戸城内の被害も大きかったようで、
死者も多数(倒壊での圧死)出たようですが、
城内の事は他言無用であった為、
殆ど記録がありません。… 続きを読む

安政の地震と現代の地震②

/②/

不謹慎ながら災害で富を得る業界がある。
それは古今共に同じ事。
災害によって破壊された物
不足している物は需要が出てくるわけで、
当たり前の事なのです。

現在は災害で儲かったなど、
不謹慎で口にしませんが、
実際に儲かっている企業はあるわけですし、
災害によって傾きかけていた屋台骨が、
復活したという企業もある。… 続きを読む

安政の地震と現代の地震①

①//

熊本地震は未だ余震が続いています。
下関でも本震の時に震度3程の揺れがあり、
僕の弟は震源近くに出張中でしたが、
幸運にも難を逃れて無事でした。

僕自身阪神淡路大震災の際に大阪におり、
多少地震の恐ろしさを経験しております。
カラオケ店でバイト中で、
閉店作業中に大きな揺れが起こり、
店内がめちゃくちゃになりました。
当時はネットなど無い時代で、
何が起こったのかわからず、
他のバイト仲間とラジオで情報を聞いて、
大変な事になっている事を知ります。… 続きを読む

長州藩主と英国艦隊提督の会見

慶応2年11月。
木戸貫冶(桂小五郎)は鹿児島に向かう途中、
長崎に立ち寄っています。
英国東洋艦隊もたまたま長崎に寄港しており、
木戸は司令官のジョージ・キング提督と会見。
会見の際にキング提督は下関への寄港と、
長州藩主への拝謁を強く求めてきました。

木戸は鹿児島に行くので即答できないと答え、
鹿児島からの帰路の下関で藩に手紙を送り、
拝謁の可否を考えてくれるように促します。

藩政府は英国との繋がりを作る好機と考え、
藩主毛利敬親続きを読む