長州藩の準一門家である福原家は、
安芸毛利家4代毛利元春の五男が、
縁戚である備後長井家の養子となり、
後に内部荘福原村を領して福原姓に改め、
福原元世と名乗った事に始まります。
毛利家に終始協力しており、
更に8代福原広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ、… 続きを読む
「広島県」カテゴリーアーカイブ
広島県安芸高田市 国司家墓所
長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元… 続きを読む
広島県安芸高田市 高杉山城跡
長州藩大組高杉家(高杉晋作)のルーツとして、
三次市の高杉城が知られていますが、
安芸高田市に高杉山城なる城跡があり、
こちらも高杉家のルーツとされています。
城跡には高杉家が碑を建立しており、
どちらがルーツなのかはっきりしません。
吉田町西浦周辺。
赤丸の場所に高杉家先祖の墓があります。
城跡とはいえ小山があるだけで遺構はなく、
更にその小山も小さなものなので、
小規模な砦… 続きを読む
広島県安芸高田市 毛利隆元墓所
安芸毛利家13代当主毛利隆元は、
毛利元就の隠居に伴い家督を相続しますが、
元就より先に病死してしまい、
その子毛利輝元が跡を継ぎました。
「毛利隆元墓所」。
隆元の墓所は元就の墓所とは少し離れ、
常栄寺跡に建てられました。
※というより隆元の墓のある地に、
常栄寺が建立されたようです。
この常栄寺は防長移封… 続きを読む
広島県安芸高田市 毛利元就墓所
中国地方の覇者毛利元就は元亀2年(1571)、
吉田郡山城のお里屋敷で危篤に陥り、
6月14日の巳の刻に死去しました。
遺骸は大通院に移されて葬儀が行われ、
初七日の法会の後に火葬。
遺骨は大通院境内に埋葬されました。
「毛利元就公火葬場伝承地」。
吉田郡山城西麗にある火葬場跡。… 続きを読む
広島県安芸高田市 宍戸隆家墓所
宍戸隆家は安芸宍戸家13代当主で、
毛利元就の娘五龍局を娶り、
毛利家一門となった人物でした。
「宍戸隆家墓所」。
隆家の菩提寺天叟寺の跡で、
墓所への道は案内板も設置されていますが、
矢印通りに行くと柵で行けません。… 続きを読む
広島県安芸高田市 理窓院/宍戸元源墓所
理窓院は甲田町にある真言宗寺院。
宍戸元源が建立した宍戸家の菩提寺で、
元源の墓所となっています。
「本堂」。
理窓院は安芸高田市唯一の真言宗寺院。
元々は禅宗であったとされており、
寛永4年(1627)に真言宗に改宗したという。
本堂は国指定重要文化財… 続きを読む