[四国地方]」カテゴリーアーカイブ

愛媛県松山市 伊予松山城①

①//
伊予松山城は市街にある平山城で、
賤ヶ岳七本槍加藤嘉明が築城した城。
嘉明は城の完成を待たずに会津へ転封。
代わって蒲生忠知が松山城に入りますが、
忠知は継嗣なく病死して蒲生家続きを読む

愛媛県松山市 大林寺/松山藩松平家墓所

徳川家康の異母弟松平定勝は、
桑名藩11万石を与えられ、
定勝系久松松平家の祖となりましたが、
寛永元年(1624)に死去して、
次男松平定行が跡を継ぎました。
2代将軍徳川秀忠は定勝の菩提を弔う為に、
定行に菩提寺の造営を命じ、
桑名領内に崇源院が建てられています。
※現在の桑名市の続きを読む

愛媛県八幡浜市 二宮敬作記念公園

国道九四フェリーで大分佐賀関から、
四国の佐田半島三崎港に到着。
国道197号から378号を通って松山へ。
その途中の保内町磯崎に、
二宮敬作記念公園があります。… 続きを読む

愛媛県宇和島市 大隆寺/宇和島藩伊達家墓所

宇和島藩伊達家の菩提寺のひとつ大隆寺は、
伊達家以前の宇和島藩主富田信高により、
金剛山正眼院として建立されたもの。
信高は豊臣秀吉の側近富田一白の嫡子で、
父の死後に跡を継ぎ安濃津城主となります。
関ケ原の戦いでは東軍続きを読む

愛媛県宇和島市 等覚寺/宇和島藩伊達家墓所

龍華山等覚寺宇和島藩伊達家の菩提寺で、
初代から4代藩主および、
6代以降の偶数代の藩主の墓所があります。


等覚寺山門」。
等覚寺は初代藩主伊達秀宗が、
母の菩提を弔うために建立した寺で、
建立当時は龍泉寺という寺名でした。
後に秀宗が死去して龍泉寺に葬られたため、
戒名の等覚寺殿拾遺義山常信大居士続きを読む

愛媛県宇和島市 大村益次郎住居跡

村田良庵緒方洪庵適塾で蘭学を学び、
頭角を現して塾頭を勤めた後、
鋳銭司に帰って医者を開業しています。

高野長英を失った宇和島藩では、
高野に代わる蘭学者を求めていましたが、
そこで白羽の矢が立ったのが、
二宮敬作を訪ねに来ていた村田でした。

一流の蘭学者と認められた村田は、
宇和島藩主伊達宗城続きを読む

愛媛県宇和島市 高野長英の隠れ家

戊戌夢物語で幕を批判した高野長英は、
蛮社の獄渡辺崋山らと共に捕えられますが、
牢屋敷の火災で放たれて脱獄し、
硝酸で顔を焼いて人相を変えて逃亡。
宮敬作を頼り宇和島藩に仕えています。

宇和島藩主伊達宗城は高野を庇護し、
兵法書などの翻訳や、兵備の洋式化、
砲台の建設に従事させました。… 続きを読む