萩市」カテゴリーアーカイブ

山口県萩市 光福寺/中島名左衛門墓所

萩市の市街地のはずれ、
椿地区の山の斜面に立つ光福寺
ここに下関で暗殺された長崎の砲術家、
中島名左衛門の墓があります。

中島は長州藩から砲術教授として招かれ、
藩主世子毛利定広と共に下関に赴き、
外国船打ち払い後の砲台巡視を行いました。
竹崎の白石正一郎邸で戦術会議が行われ、
長府藩主毛利元周、総奉行の毛利宣次郎、… 続きを読む

山口県萩市 海潮寺

萩市には幕末志士の墓所が沢山ありますが、
下関市と萩は高速で1時間半と遠いので、
そんなに頻繁には行くことが出来ません。
幸い嫁さんの実家が島根県益田市ですので、
盆正月は孫の顔を見せに帰りますので、
その道中にある萩に寄ることができます。

そういうわけで下調べをしておいて、
史跡や墓所を少しづつ訪問するのですが、
今回は海潮寺に行ってみました。

海潮寺は元々石見国温泉津にあった寺で、
毛利輝元の防長移封に伴い移っています。… 続きを読む

山口県萩市 育英館跡

須佐の郷校である育英館は、
益田家27代当主益田元道が開いた郷校。
益田家家臣の子弟教育の為の学校でした。

益田家33当主益田親施は、
吉田松陰から山鹿流兵学を学んでおり、
その縁で松下村塾との交流があったようで、
双方で… 続きを読む

山口県萩市 益田家墓所②

/②
つづき。


雄嶽院殿快翁全活大居士塔」。
29代(11代)当主益田就祥の墓。
28代益田広尭の嫡男として生まれ、
父の死去により家督を相続。
美濃伊勢の河川普請総奉行を務め、
笠松代官所に出向しました。
逼迫する藩の財政の打開策として、
撫育方続きを読む

山口県萩市 益田家墓所①

益田家は長州藩の永代家老家で、
長州領北東端須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より、
現在の島根県益田市を本拠としていますが、
関ヶ原の戦いで主家が減封した為、
代々統治した所領を手放しています。
益田の隣須佐が所領とされたのは、
益田を取り戻すつもりだったのか?
それとも単なる偶然?… 続きを読む

山口市萩市 恵美須ヶ鼻造船所跡

明治日本の産業革命遺産の構成資産として、
世界遺産となった[恵美須ヶ鼻造船所跡]へ。

僕は世界遺産を胡散臭いと思っていて、
伊勢神宮出雲大社が登録されなのも変だし、
富士山文化遺産ってのも気になる。
日本の城郭で姫路城だけ登録されているのも、… 続きを読む

山口県萩市 涙松遺跡

山口市から萩市へは県道32号線を通りますが、
萩道路道の駅萩往還がある道。
その途中の細道に[涙松遺跡]があるのは、
前から知ってはいたのですが、
道を通る度に通り過ぎてしまって、
なかなか行く事が出来ませんでした。
今回は通り過ぎる事なくやっといけました。


[道の駅 萩往還]を萩側に向かい、
ちょっと進むと見過ごしそうな小道。… 続きを読む