伊藤博文は熊毛郡の百姓林十蔵の長男で、
出稼ぎで萩に住む父に呼ばれて萩に移住。
その父が中間水井武兵衛の養子となり、
武兵衛が足軽伊藤家の養子となった為、
十蔵、利助(博文の幼名)も足軽となります。
百姓として生まれ、父が中間に養子に入り、
養祖父が足軽に養子に入るという展開。
百姓から頂点へのサクセスストーリーは、
戦国時代の豊臣秀吉と同じですが、… 続きを読む
「[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ
山口県山口市 野坂御番所跡
各藩の領地の境界には口留番所が設けられ、
領内出入や物資の取締が行われていました。
ご禁制の品を取り締まったり、
人や物の通行税を徴収しましたが、
各地の番所によってその厳しさは様々。
例えば仲の悪い藩同士であれば、
その取締りは厳しくもなるでしょうし、
反対に殆どスルーというものもありました。
通行には通行手形が必要でしたが、
伊勢参り等の寺社参拝では、… 続きを読む
山口県長門市 泊台場跡
油谷湾を囲む向津具半島の先端油谷島に、
異国船打払の為の台場跡が残されています。
向津具半島周辺(泊台場跡の場所)
向津具は[むかつく]と読みます。
もちろん別にムカついているわけではなく、
向津国(むかつくに)と呼ばれていたのが、
年月が経つうちに変化したもので、
油谷湾の南側から見て、
[… 続きを読む
山口市防府市 大和屋政助 入江石泉墓所
長距離移動といえば現在は自動車か、
はたまた電車や飛行機、
フェリーや高速バスなど色々あります。
江戸時代でいえば馬が自動車の代わりで、
電車や飛行機の代わりは船でしょうね。
現在の防府市… 続きを読む
山口県防府市 大楽源太郎墓所
大道‐秋保間の県道25号線の側道に、
大楽源太郎の墓所への入り口があります。
「大楽源太郎先生墓所入口」。
これ行けるの?というような入口。
奥もけもの道のようになっていますが、
迷わずにたどり着けます。
少し行くと3つの墓石が現れました。
そのひとつが大楽源太郎の墓です。… 続きを読む
山口県防府市 西山塾跡
慶応2年。
大楽源太郎は大道の上り熊という場所に、
西山塾(西山書屋)という私塾を開設します。
高杉晋作の功山寺挙兵により、
長州は内訌戦に移行。
大楽も忠憤隊を組織して参戦しました。
この内訌戦の末に正義派政権が誕生し、… 続きを読む
山口県防府市 繁枝神社/大楽先生之碑
大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながら雨が降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む