[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

光明寺党の最初の宿泊地はどこ??

白石正一郎日記には文久3年4月27日昼。
久坂玄瑞ら30人余の志士がやって来て、
竹崎長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
その後に細江光明寺へ転陣しました。
この連中が光明寺党です。… 続きを読む

下関市豊田町 安徳天皇西市御陵墓参考地

下関市にある豊田湖はダムで出来た人口の湖。
河川の少ない下関は慢性的な水不足で、
木屋川の上流にダム湖を建設しています。
豊田湖は冬はワカサギ釣り
夏はキャンプなど意外に行楽客も多い湖。

湖畔には安徳天皇の陵墓もあります。
この安徳天皇の御陵は、
宮内庁治定の阿彌陀寺陵(赤間神宮)の他、… 続きを読む

下関市阿弥陀寺町 八軒屋砲台

関門海峡は無数の船が毎日のように行き交い、
とても素晴らしいロケーションなのですが、
近年の人口減少に反して、
海岸線に高層マンションが建ち始めました。

特に阿弥陀寺町には何棟もマンションが建ち、
たかだか人口20万人の中核市なのに、
入る人いるの??と思っちゃうほどです。


阿弥陀寺町」。
国道9号線から関門橋を眺めた様子。
ベランダから関門海峡が望めるって、… 続きを読む

下関市阿弥陀寺町 紅石山砲台跡


大連神社境内には、
社務所らしき小さな建物がありますが、
現在は使われていない様子。
この裏手に紅石山の頂上への道があります。


社務所らしき建物の裏手には、
何らかの建物がたっていたであろう石垣が。
これは阿弥陀寺関係の諸坊の石垣でしょうか?


石垣があった場所からさらに奥へ進む。
山道というよりけもの道といった感じ。
かろうじて道と思われる場所を進みます。


意外とすぐに山頂続きを読む

下関市阿弥陀寺町 梅ノ坊砲台

平家一門と共に壇ノ浦に沈んだ安徳天皇
この幼帝を祀るのが赤間神宮です。
赤間神宮は幕末まで阿弥陀寺という寺でしたが、
明治になって[天皇社]として神社となり、
明治8年に[赤間宮]、
15年に[赤間神宮]と変貌しました。


赤間神宮続きを読む

下関市横野町 横野八幡宮/島田虎之助道場跡

幕末(天保)の三剣士といえば、
男谷精一郎島田虎之助大石進の三人。
この中の一人である島田虎之助が、
下関の横野で道場を開いていた事は、
あまり知られていません。

中津藩士島田市郎右衛門の末子に生まれ、
人吉藩士宮原兵衛之助の養子となりますが、
出奔して中津に帰って来たとされ、… 続きを読む

下関市大平町 了円寺/小倉戦争戦死者の墓

了円寺功山寺挙兵新地会所を襲った後、
反乱軍が駐屯した寺として知られ、
本堂にその時に付けられた刀痕が残ります。


了円寺本堂」。
本堂は当時のまま。
柱に残された刀痕は見事な二太刀の痕で、
ある程度の腕を持つ者の残したものという。

了円寺の墓地にある長州兵らの墓。
小倉戦争で戦死した3人の墓があります。

本堂の真裏に3基並んでおり、… 続きを読む