高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ

高杉晋作の命日

4月14日は高杉晋作の命日
僕は今年も出張です。

4月14日は旧暦で実際に晋作が死去したのは、
西暦1867年7月17日です。

この一年後の1868年5月17日には、
新撰組局長の近藤勇が斬首されています。

それから3年後の1871年5月17日には、
晋作の主君毛利敬親が亡くなっています。

意外な共通点ですね。

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下関市丸山町 桜と高杉晋作陶像

高杉晋作の陶像のある日和山は、
桜の名所でもあります。

普段は気がつかないんですが、
陶像周辺の木はすべて桜。

晋作像は備前焼で作られております。
勿論当初は銅で作られていたのですが、
大東亜戦争金属供出で失われました。
後に再び戦争で失われないようにと、
備前焼の陶像として再建されました。
台座の裏には、
「… 続きを読む

無敵幸之進

親戚の幼稚園児のお遊戯会に行きました。
靴箱には園児の名前が書かれていましたが、
みんな今時の名前ですね。
幼稚園なのでひらがなで書かれていますが、
コレどんな漢字なんだ?と思う名前や、
外人っぽい名前(ハーフかも?)、
あのアニメのキャラだろ?と思う名前など、
キラキラネームDQNネームというのか、
実に変わった名前が多いです。
子供に名前聞いても覚えられません。

とはいえキラキラ~な名前でも、
苗字はキラキラになりませんね。
でも昔は苗字を変えることも可能でしたので、… 続きを読む

下関市伊崎町 ひょうたん井戸

長州内訌戦に勝利した高杉晋作は、
武備を充実させる為に下関開港に奔走。
下関の大半は支藩長府藩領となっており、
実現の為に本藩領との換地が必要でしたが、
開港や換地に反対する長府藩士から、
その命をつけ狙われます。

刺客から追われた晋作は、
ひょうたん井戸に丸一日身を隠して、
刺客をやり過ごしたと伝えられています。

下関市伊崎町。看板に従い歩きます。

かなり細い路地です。

「… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/晋作の新しい銅像

とうとう出来ましたね。新しい銅像!
奇抜なポーズは嫌だなと思ってましたが、
威厳ある直立の像でした。
左手に刀を持って直立不動に立つ姿は、
桂浜の龍馬像上野の西郷像に、
勝るとも劣らぬ、素晴らしい出来栄えです!
銅像なのでこれから少しずつ年季が入って、
いい色合いになっていくのでしょう。

残念ながら除幕式には行けませんでした。

今までの晋作像に評価をつけていましたが、
※記事はこちら
今回も… 続きを読む

乃木希典 ~高杉晋作との関係

乃木希典大将日露戦争の英雄
彼が名将凡将かの議論はさておき、
今回は乃木希典と高杉晋作について。

少し前まで歴史に疎い人でも、
乃木大将の名だけは知ってる」。
という人は多かったのですが、
現在はどうなんでしょうか?
乃木希典は長府藩続きを読む

田中光顕 ~高杉晋作との関係

田中光顕について・・・
田中天皇親政派の宮廷政治家で、
過激な尊皇攘夷活動に邁進した志士でした。
彼は晋作の唯一の弟子として知られていますが、
実際にはどういう関係だったのでしょう?

田中光顕は幕末の当時田中顕助と呼ばれ、
武市半平太土佐勤王党に参加していましたが、… 続きを読む