高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ

下関市竹崎町 白石正一郎旧宅跡

竹崎の商人白石正一郎小倉屋は、
酒、たばこ、米、お茶の卸や、
質屋、造酒屋も経営した豪商とされています。

しかし実際は長州藩の商いは無く、
孫藩の清末藩御用商人だったようで、
豪商というほどでもありませんでした。
最も儲かる北前船交易には参加する事が出来ず、… 続きを読む

晋作と西郷は会っていたのか?2

ちょっと前に書いた記事
晋作と西郷は会っていたのか?に対し、
郎女迷々日録 幕末東西郎女様が、
アンサー的記事で色々調べて下さいました。
下記がその記事です。

珍大河『花燃ゆ31』と史実◆高杉は西郷と会ったか?
珍大河『花燃ゆ32』と史実◆高杉晋作伝説の虚実

郎女様も二人は会っている可能性が高いと、
結論付けられたようですが、
彼女は面白い推理をされており、
僕はこの推理に納得すると共に、
二人が会っている事を確信した次第です。

郎女様は西郷と諸隊の会合と、… 続きを読む

下関市伊崎町 小門の報済園

下関と彦島の間にある細い海峡を、
小門または小瀬戸と言います。
[小門の夜焚]という舟遊びで知られた地で、
松明を焚いた小舟を浮かべて、
その明かりに集まった魚を網で捕らえ、
舟上で料理して食べていたとのこと。

[日本外史]の著者でもある儒学者頼山陽や、
晋作が愛した南画家田能村竹田も、
[小門の夜焚]で遊んだとされています。… 続きを読む

晋作と西郷は会っていたのか?

高杉晋作西郷隆盛は面識が無いとされ、
yafoo!知恵袋等のネットの書き込みでも、
よくそういう答えが見受けられます。

大概が会う機会があったけれども、
晋作が会わなかったというもので、
晋作は他藩の人間を信用せず、
特に西郷が嫌いだったとか・・。

でもこれは司馬遼太郎の受け売りで、
司馬の小説「世に棲む日日」において、
計画していた横浜外国公使の襲撃を、
久坂玄瑞が… 続きを読む

福岡県福岡市 平尾山荘

福岡市下関市から高速道路で、
1時間ちょっとで行けます。
仕事の営業ではよく行くのですが、
なかなか史跡めぐりをするには、
意外に億劫な場所なのです。
福岡城もお得意様の近くなんですが、
未だ行った事がない・・・。

そんな福岡市ですが、
幕末史において重要な史跡があり、
行かなきゃ行かなきゃと思いつつ、
行けていなかった場所に、
やっと行ってきました。

それが今回ご紹介する平尾山荘です。

平尾山荘は女流歌人… 続きを読む

山口県萩市 円政寺

円政寺は大内氏の祈願寺で、
今の山口市円政寺町にありました。
大内氏滅亡後も毛利氏から保護され、
毛利氏が萩へ築城すると同時に、
この地に移転してきました。
境内に金比羅社があるためか、
入り口には鳥居があります。


この寺の住職恵運伊藤博文の母(林琴子)が、
従兄妹だということで、
伊藤(当時林利輔)はこの寺に、
一年半預けられていたそうです。… 続きを読む

下関市新地町 高杉東行終焉之地

高杉晋作の終焉の地が綺麗になってます。
といっても整備されたのは去年の話。
地元ながら全然知りませんでした。

高杉東行終焉之地」。
いや~きれいになった。


以前の「高杉東行終焉之地」。
これはこれで重厚感があって好きです。
残念ながら後ろの錆びたシャッターが、
景観を台無しにしてくれてますケド・・。
ちなみに後ろの建物は廃墟のようで、
スーパーや市場的な跡なのですが、
僕が覚えている限りずっと廃墟。
基本的にはこのバックの残念な廃墟を、
綺麗な竹垣で隠したことがメインですね。
なんてナイスな改修なんでしょう。… 続きを読む