「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
有名な… 続きを読む
「高杉晋作まとめ」カテゴリーアーカイブ
東行忌 高杉晋作没後150年記念
高杉晋作の命日に行われる供養祭東行忌。
毎年4月14日に行われていますが、
土日に行われるわけではないので、
東行忌に行ったことがありませんでした。
今年は没後150年記念ということで、
京都島原から葵太夫が奉納舞踊を披露。
どうにかして行きたいなと思っていたら、
会社で休日出勤することがあり、
振替休日が取れる事に!奇跡だ!
・・というわけで行ってきました。… 続きを読む
星になっていた高杉晋作
男の子のプレゼントの定番天体望遠鏡。
おばあちゃんとか親戚のおばちゃんとかが、
誕生日なんかに買ってくれたりして。
最近はどうなんだろ?
やっぱゲームでしょうかね?
今の子に天体望遠鏡あげたら喜ぶのかな?
僕は誰からも天体望遠鏡を買ってもらえず、
友達の望遠鏡やそこから見える星の話など、
聞いていいなぁとか思っていました。
そんな訳で天体には全く疎いわけですが、
無数の星には全て名前があるみたいです。
なんでもその星の発見者に命名権があり、
発見者のセンスで名前が付けられる。
そんな中で高杉晋作… 続きを読む
高杉晋作に従う謎の僧
高杉晋作に従う謎の少年
2種類ある高杉晋作の写真のひとつ。
真ん中が晋作で、
右側は伊藤俊輔(博文)。
ではこの少年は?
山田顕義とか高島某とかいわれていますが、
この少年の名は三谷国松。
晋作に憧れて付き従うようになり、
可愛がられていたようです。
国松は萩の医家村上某の息子とされ、… 続きを読む
宮城彦助 教法寺事件の犠牲者
宮城彦助は長州藩大組士。
和歌を得意とする文人として知られて、
文久3年に中山忠光が長州に赴いたため、
宮城はこの公卿の随従を命じられます。
文人の才を買われたのでしょう。
しかしこの中山忠光。
ただの公卿ではありませんでした。
若く狂信的な攘夷論者で、
雅な公卿ではなかったのです。
気に入らないからと失踪するわ。
真木和泉救出に久留米… 続きを読む
下関市南部町 馬関越荷方役所跡
下関の東側海岸線は埋め立てられており、
殆ど幕末当時の状況と変わっています。
当時の海岸線は国道に沿ったあたりでした。
下関は埋め立てしか発展する余地はなく、
残念ながら当時の面影は残っていません。
当時の下関は北前船の寄港地であり、
大変な賑わいをみせた場所で、
長州藩の[馬関越荷方役所」が、
下関の南部町に設置されていました。
越荷… 続きを読む