伊藤博文」タグアーカイブ

力士隊について

功山寺挙兵に呼応した諸隊といえば、
石川小五郎遊撃隊伊藤俊輔力士隊
このうち力士隊というのは、
諸隊が相次いで発足した文久3年に、
長州相撲力士達によって結成された隊です。

諸大名は実力ある力士達を抱えており、
藩の力を誇示していたとされ、
今でいうスポンサーのようになっていました。
※有名な続きを読む

高杉晋作に従う謎の少年

2種類ある高杉晋作の写真のひとつ。


真ん中が晋作で、
右側は伊藤俊輔(博文)。
ではこの少年は?
山田顕義とか高島某とかいわれていますが、
この少年の名は三谷国松
晋作に憧れて付き従うようになり、
可愛がられていたようです。
国松は萩の医家村上某の息子とされ、… 続きを読む

下関市南部町 梅子夫人の実家跡

金子みすゞ顕彰碑のある寿公園より、
(記事はこちら)
左側の坂を登った南部町マンション
ここの壁面に石碑がはめ込まれています。


伊藤博文公夫妻史蹟 梅子夫人の実家跡」。
伊藤梅子店屋久兵衛の長女でしたが、
10歳頃に両親と死に別れたようで、… 続きを読む

不倫騒動に思う。

ベッキー不倫騒動が巷を騒がせていますが、
ゴシップなんてこのブログには関係ない事。

とはいえ娘を持つ親と致しましては、
娘に不倫とかロクデナシとか、
そういうのに関わって欲しくないもの。
娘にどういう男と結婚して欲しいかとか、
色々と考えちゃうわけです。

ゲス乙女とか別に好きでも嫌いでもないし、
実際にあまり知らないのですが、
私以外私じゃないの~」とか、… 続きを読む

下関市中之町 亀山八幡宮

亀山八幡宮は長門国三宮
地元では亀山さんと呼ばれています。
この神社の境内に砲台が設置され、
攘夷戦の第1発目が発射されました。
境内に砲台が設置された理由は、
海に面していた神社だったからでしょう。
※現在は埋め立てらて海に面してはいない。



埋め立てされていない当時の亀山八幡宮。
石段の奥側が堂崎の渡し場で、
そこにある建物が津口番所と思われます。… 続きを読む

下関市南部町 紅屋跡

下関商工会議所の向かいにある寿公園。
ここに金子みすゞ顕彰碑があります。

金子みすゞ顕彰碑」。
実は僕は金子みすゞの詩は大嫌い。
好きな人には申し訳ないのですが、
彼女の詩がとても辛気臭く感じられて、
昔からどうしても好になれない。
詩なんて好き嫌いがあるわけで、
僕的には好みではなかっただけですが・・。

幕末期のこの公園あたりには、
料亭紅屋木助(喜八)邸があったようで、
京都続きを読む

高杉晋作ウォーク(唐戸周辺)③

高杉晋作ウォーク(唐戸周辺コース)のつづき


教法寺」。
文久3年に奇兵隊は前田砲台
撰鋒隊は壇ノ浦砲台を担当しています。
長州藩世子毛利元徳が下関に来た際、
奇兵隊、撰鋒隊の両砲台を視察。
最初に奇兵隊の前田砲台を視察しますが、
視察の時間がなくなってしまい、
撰鋒隊の視察はなくなってしまいました。
撰鋒隊士らは宮城彦輔続きを読む