明治9年に前原一誠らは旧士族を招集し、
他所の士族反乱に呼応して挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この計画が事前に察知されていた為、
計画を変更して山陰を東上し、
天皇への直接直訴を計画しました。
海路にて浜田へ向かいますが、
悪天候により国境手前の江崎湊に寄港。
ここで近親者が処罰されていると聞き、… 続きを読む
山口県萩市 前原一誠終焉の地
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明治9年に前原一誠らは旧士族を招集し、
他所の士族反乱に呼応して挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この計画が事前に察知されていた為、
計画を変更して山陰を東上し、
天皇への直接直訴を計画しました。
海路にて浜田へ向かいますが、
悪天候により国境手前の江崎湊に寄港。
ここで近親者が処罰されていると聞き、… 続きを読む
延寿寺は川尻にある天台宗の寺院。
西南戦争時に西郷軍の野戦病院となり、
各地から薩軍の戦死傷者が運ばれ、
850余名が埋葬されました。
後年になって遺骨は故郷に戻り、
その殆どは改葬されましたが、
境内に慰霊碑が建立されています。
「本堂」。… 続きを読む
南洲墓地にある庄内士族の墓。
薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちしたり、
戊辰戦争で新政府軍を苦しめた庄内藩ですが、
敗戦後は比較的軽い処分となりました。
これは西郷隆盛の意向によるものとして、
以後の庄内では西郷を敬愛する者が多く、
西郷が下野して… 続きを読む
南洲墓地にある大山綱良の墓。
「大山綱良墓」。
初代鹿児島県令大山綱良の墓。
城下士樺山善助の次男に生まれますが、
後に大山四郎助の婿養子となりました。
精忠組に加入して勤皇を唱えますが、
寺田屋事件では鎮撫使… 続きを読む
南洲墓地にある島津啓次郎の墓。
「島津啓次郎之墓」。
島津啓次郎の墓。
佐土原藩11代藩主島津忠寛の三男で、
家老町田家の養子となっており、
鹿児島を経て東京に留学し、
勝海舟… 続きを読む
南洲墓地にある坂元申太郎の墓。
「坂本清緝墓」。
一番大隊四番小隊長坂元申太郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士坂元廉四郎の子で、
戊辰戦争で薩摩藩十二番隊に属し、
奥羽… 続きを読む
南洲墓地にある森岡長左衛門の墓。
「森岡昌武墓」。
一番大隊七番小隊長森岡長左衛門の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
戊辰戦争に出征して功を挙げ、
鹿児島常備隊の小隊長を務めた後、
明治4年に近衛陸軍大尉… 続きを読む