国生みを終えた伊邪那岐命と伊邪那美命は、
更に多くの神々を生み出しますが、
火の神軻遇突智を生んだ際に火傷を負い、
それが原因で亡くなってしまいます。
伊邪那岐命は伊邪那美命の遺骸を、
出雲国と伯耆国の境にある比婆山に埋葬。… 続きを読む
島根県松江市 岩坂陵墓参考地
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国生みを終えた伊邪那岐命と伊邪那美命は、
更に多くの神々を生み出しますが、
火の神軻遇突智を生んだ際に火傷を負い、
それが原因で亡くなってしまいます。
伊邪那岐命は伊邪那美命の遺骸を、
出雲国と伯耆国の境にある比婆山に埋葬。… 続きを読む
元暦2年/寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いで、
源氏と平家は最後の戦いを行い、
平家は滅亡して海の藻屑となっています。
敗北が決定的となった際に二位尼は、
※平清盛の継室で安徳天皇の外祖母。
宝剣と神璽を抱えて入水。
按察使局伊勢が… 続きを読む
吾平山上陵は鸕鶿草葺不合尊の皇族陵で、
宮内庁によりその治定地とされています。
鸕鶿草葺不合尊は神武天皇の父で、
彦火火出見尊と豊玉姫命の子。
西州之宮という場所で崩御し、
吾平山上陵に埋葬されたと伝わるのみで、… 続きを読む
鵜戸神宮境内には鵜戸陵墓参考地があり、
鸕鶿草葺不合尊が葬られたと伝わります。
治定地は鹿児島県の五平山上陵ですが、
明治29年に明治政府が伝説地に定め、
後に参考地となりました。
鵜戸神宮に隣接する速日峯の頂上に、
その陵墓参考地があります。… 続きを読む
瓊瓊杵尊の御陵は可愛山陵と治定されますが、
男狭穂塚陵墓と北川陵墓が参考地として、
宮内庁の管轄地となっています。
瓊瓊杵尊の御陵は日本書紀によると、
[筑紫日向可愛山之山陵]となっており、
これは可愛岳… 続きを読む
「京都~大原三千院~♪」。
京都の大原に三千院があるのを、
子供の頃から知っていましたが、
京都大原がどこにあるのか、
三千院が一体全体何なのか、
全く判ってはいませんでした。
これは歌謡曲[女ひとり]の歌詞で、
永六輔作詞、いずみたく作曲、… 続きを読む
菩提樹院陵は68代後一条天皇陵の御陵。
後一条天皇は長元9年(1036)に崩御し、
神楽岡の東麓で火葬されており、
遺骨は浄土寺(現浄土院)に一時安置。
母である藤原彰子(一条天皇皇后)は、
天皇の火葬所に菩提樹院を創建し、… 続きを読む