剣豪宮本武蔵はその遺言により、
街道の往還沿いに葬られ、
武蔵塚として墓所は現存していますが、
弟子である寺尾求馬助家の墓所にも、
武蔵の墓が建てられており、
西の武蔵塚と呼ばれています。
「寺尾求馬助家墓所」。
寺尾求馬助信行は武蔵晩年の高弟… 続きを読む
熊本県熊本市 西の武蔵塚
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剣豪宮本武蔵はその遺言により、
街道の往還沿いに葬られ、
武蔵塚として墓所は現存していますが、
弟子である寺尾求馬助家の墓所にも、
武蔵の墓が建てられており、
西の武蔵塚と呼ばれています。
「寺尾求馬助家墓所」。
寺尾求馬助信行は武蔵晩年の高弟… 続きを読む
剣豪宮本武蔵は晩年熊本藩に迎えられ、
熊本城東部に屋敷を与えられており、
その余生を過ごしています。
熊本藩初代藩主細川忠利は武蔵に対し、
破格の待遇を与えていたようで、
鷹狩りも許可されていたという。
2代藩主細川光尚も同様に接したとされ、
悠々自適な生活をしていたようですが、
やがて金峰山… 続きを読む
泰勝寺跡にある四つ御廟より、
泰勝寺歴代住職の墓域に行けますが、
そこにある2代住職春山和尚の墓の隣に、
宮本武蔵の供養塔とされる塔があります。
「伝 宮本武蔵供養塔」。
宮本武蔵は二刀流(二天一流)で知られる剣豪… 続きを読む
手向山は小倉藩家老宮本伊織貞次が拝領し、
山頂に養父宮本武蔵を偲んだ碑を建て、
代々の墓所とした場所でした。
※当時は田向山と呼ばれていたという。
山は後の明治20年に陸軍に接収。
下関要塞の砲台構築の為に、
山麓に墓地を移転しています。
「… 続きを読む