長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元… 続きを読む
広島県安芸高田市 国司家墓所
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長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元… 続きを読む
宍戸隆家は安芸宍戸家13代当主で、
毛利元就の娘五龍局を娶り、
毛利家一門となった人物でした。
「宍戸隆家墓所」。
隆家の菩提寺天叟寺の跡で、
墓所への道は案内板も設置されていますが、
矢印通りに行くと柵で行けません。… 続きを読む
理窓院は甲田町にある真言宗寺院。
宍戸元源が建立した宍戸家の菩提寺で、
元源の墓所となっています。
「本堂」。
理窓院は安芸高田市唯一の真言宗寺院。
元々は禅宗であったとされており、
寛永4年(1627)に真言宗に改宗したという。
本堂は国指定重要文化財… 続きを読む
安芸高田市はかつての毛利家本領。
毛利家家臣団の先祖の墓所が多くあり、
今回はそれらを巡ってみようと思います。
長州藩筆頭家老安芸宍戸家は、
鎌倉殿の13人のひとり八田知家の四男で、
所領から宍戸姓を名乗った宍戸家政から、… 続きを読む
開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
開善寺にある小宮家の墓所。
「小宮家墓所」。
小宮家は信州時代より小笠原家に仕え、
重臣拾四家のひとつとされた名門。
資料に乏しく当主の系譜は不明ですが、
居士銘入った墓碑は以下のとおり。
※( )内は特定出来た被葬者。
天球院遍界不藏居士(小宮主鈴親展)… 続きを読む
開善寺にある渋田見家の墓所。
「渋田見家墓所」。
渋田見家は信濃の国人仁科氏の支流。
天正壬午の乱後に小笠原家に仕官し、
渋田見長盛、渋田見政長父子が、… 続きを読む