①/②
つづき。
「玉堂泰安大居士」。
8代当主島津久倫の墓。
7代当主島津久方の嫡男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
5代藩主島津吉貴の弟島津久亮を養子とし、
この事から大身分… 続きを読む
鹿児島県薩摩郡 宮之城島津家墓所②
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宮之城郷は薩摩藩の外城のひとつで、
宮之城島津家が私領として支配し、
御仮屋を中心に麓が形成されていました。
宮之城の地名は文禄4(1595)に、
北郷忠能が入封された際、
旧領都城に因んて改称されたとのこと。
「宮之城御仮屋跡… 続きを読む
佐志交流館の脇より山手に行くと、
興全寺墓地があり、
佐志島津家の祖御下姫の墓があります。
「桂樹院殿虚窓従伯菴」。
御下姫の墓。
宗家17代当主島津義弘の次女で、
幼名は千鶴であったとされ、
成長して御下と名乗ったとされますが、… 続きを読む
佐志郷は佐志島津家が領した外城。
佐志島津家の石高は3000石とされ、
御仮屋を中心に麓が形成されていました。
「佐志島津家御仮屋跡」。
佐志島津家の御仮屋跡は、
佐志交流館や佐志小学校のある辺り。
石垣… 続きを読む
福昌寺跡には島津久光の墓もあります。
久光は明治4年に玉里島津家を興しており、
最終的に島津宗家の人間ではありませんが、
宗家歴代の墓が居並ぶ宗家墓所の中央に、
最も広い墓域で聳えています。
「前左大臣従一位大勲位侯爵島津久光墓」。
玉里島津家初代当主島津久光の墓。
薩摩藩10代藩主島津斉興の五男で、… 続きを読む