弘前藩津軽家の菩提寺である長勝寺。
前回は雪が積もっていた為、
※記事はこちら。
雪の無い季節に改めて訪問しました。
「三門」。
2代藩主津軽信枚による建立。
前回の訪問時は雪化粧でした。
4つの国指定重要文化財のひとつ。
「… 続きを読む
青森県弘前市 長勝寺/弘前藩津軽家墓所(再訪)
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英秀寺は弘前藩初代藩主津軽為信の開基で、
長勝寺8世格翁が隠居寺とした寺院。
後に2代藩主津軽信枚が現在地に移し、
父の菩提寺としたとされています。
「はす池」。
英秀寺の前には堀のような池が造られ、… 続きを読む
七戸南部家(麹町南部家)は、
盛岡藩3代南部行信の七男南部政信が、
5代で兄の南部重信より5000石を与えられ、
幕府に許可を得て旗本寄合席となった家系。
屋敷を江戸麹町に構えた為に麹町家と呼ばれ、
村崎野村… 続きを読む
龍源寺は打越光隆が矢島に入封した際、
常陸国より白峰廣椿和尚招いて開山。
打越家が無嫡断絶となった後に、
生駒家が矢島に入って菩提寺と定め、
初代生駒高俊もここに葬られています、
「龍源寺」。
生駒家は高俊の次代より江戸に常駐し、… 続きを読む
本荘藩藩主六郷家の国許菩提寺は永泉寺。
六郷家は元々仙北郡六郷村の豪族で、
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、
所領の4500石を安堵されています。
関ケ原の戦いの戦功で1万石に加増され、
更に2万石加増となって由利郡本荘に入封。
菩提寺である永泉寺を移転させました。… 続きを読む
孝顕寺は結城家15代結城政朝が創建し、
始めは永正寺を称していましたが、
結城家を継いだ徳川家康の次男結城秀康が、
現在地に移転させ孝顕寺と改称しています。
秀康が越前に転封となった際も、… 続きを読む
龍門寺は南北朝時代の当主岩城朝義により、
陸奥国磐城に開山した寺院。
岩城家が亀田に転封となった際に、
磐城龍門寺より住職を招き創建されました。
「龍門寺」。
龍門寺は岩城家菩提寺として庇護を受け、
広大な七堂伽藍が並んで隆盛しましたが、
江戸期に3度の火災に見舞られており、… 続きを読む