つづき。
①/②
「畏徳院殿前丹州太守
仁勇英忠大居士(右)」、
「篤誠院殿賀丞玄極大姉(左)」。
9代藩主鍋島直彜とその正室の墓。
佐賀藩8代鍋島治茂(直熙)の六男に生まれ、
8代直宜の養嫡子となって、
養父直宜の隠居により家督を相続。
財政難に対して倹約やリストラ等、… 続きを読む
佐賀県鹿島市 泰智寺/鹿島藩鍋島家墓所②
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玉毫寺は小城藩3代鍋島元武の菩提寺で、
その死後に創建された黄檗宗の寺院ですが、
開山は本人の元武となっています。
元武は2代鍋島直能の次男として生まれ、
嗣子に指名されていましたが、
17歳で疱瘡を患って顔にあばたが残り、
人前に出るのを恥じるようになりました。… 続きを読む
宗眼寺は蓮池藩鍋島家の菩提寺。
詳しい創建時期はわかりませんが、
蓮池藩初代鍋島直澄の開基のようです。
「宗眼寺」。
はじめ雨降山潜龍寺と称していましたが、
直澄が死去して葬られる際に、
正覚山宗眼寺と改称されたようです。
「蓮池藩鍋島家墓所… 続きを読む
古くからの武雄領主であった後藤家は、
龍造寺隆信の勢力拡大により、
その支配下となっていました。
後に隆信が沖田畷の戦いで討ち取られ、
次代龍造寺政家より竜造寺姓を賜りますが、
竜造寺家は鍋島直茂が実権を掌握。
鍋島家と龍造寺一門との融和政策が行われ、
武雄竜造寺家も鍋島姓を賜り、
以後は… 続きを読む